成田琥太郎です。
沢山の方に読んで頂き本当に感謝します。
沢山アドバイスや意見、応援のお言葉をもらいました。
どこまで話していいものなのかとても迷っていました。
日記を書くと当時の嫌な記憶も今でも鮮明に思い出します。
でも負けない!
皆様の応援のおかげです。
私の母親は韓国の方です。
父親とは20歳以上離れ、当時結婚したため韓国から日本に渡りました。
私が幼稚園の頃に父親の浮気が発覚します。
離婚をして、私たちはそれから中学校を卒業するまで韓国に滞在していました。
父親からの援助はなく、でも私たちを悲しませないために当時から水商売をずっとやってこられました。
大人になって母親がどんな気持ちで生き抜いてきたか気付くことができました。
日本に戻り私が高校1年生の頃、乳癌だったことが発覚します。
若すぎた私は人生の不平等さを恨みました。
パワフルでわがままで気の強い母親がどんどん弱っていく姿を隣で見ていてとても苦しかった。
抗がん剤を服用し、髪の毛は全部抜け、最終的には片方の胸も失いました。
何度も身代わりになりたいと思いました。
でも母親の前でそんな言葉は言えません。
学校での楽しい出来事などとにかく明るくなれる言葉だけを伝えました。
その後、韓国の家族がすぐに助けにきてくれ母親は東京の大きい病院に移り、治療することに成功し今に至ります。
本当に生きていてくれて良かった。
ただ今でもパニック障害や当時の記憶がフラッシュバックして良くないことを母親は考えたりします。
傷だらけの人生ですが強い方です。
ただ女性としての自信は失ってしまいました。
「そろそろ誰か良い人見つけなよ」と言っても、「私は男に興味がない」の一点張り。
でもその言葉の裏は、また裏切られることが怖い、胸の傷を見せたくないとかなんです。
優しくて自慢の息子としていてあげることが母親の幸せ。
その私がこの業界で仕事をしていることを知りとても悲しんだと思います。
どこどこへ相談した方がいいとか、携帯管理されてることや、沢山意見を頂きました。
ありがとうございます。
でも私がそのような行為を取ることは一生ありません。
殴られて気が済むならそれでいいのです。
一生心強い味方でいてあげたい。
私が人の痛みに共感ができることや、発言や考え方、礼儀、人生との向き合い方、人の弱さ、全て母親を見て学んだことです。
この業界にデビューした頃、真面目じゃ売れないと思いました。
でも違いました。
言わなくても心に傷を負っている方は沢山います。
家族がいない方もいらっしゃいます。
異性に裏切られた方も沢山います。
でも大事な人は守りたい。
私の優しさは母親譲りです。
辛いこと、苦しいこと、人に言えないこと、なんでも言ってください。
どうか皆様に伝わってほしい。
「No problem」
成田琥太郎
成田 琥太郎の写メ日記
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母親への想い成田 琥太郎