書きたいなと思っていたことをやっぱりやっぱり書きたいなと思わせるような出来事が続いたのでやっぱり書こうと思います。行間を整えるのも面倒なのでリズムのみ気に掛けることとして改行は致しません。内容は表題の通りネオテニーとバランスです。ネオテニーとは多分生物学とか動物行動学だとかで生まれた用語であり和訳すると幼形成熟です。これは社会性を持つ動物に個体レベルで起きる出来事であって、もっと具体的に言うと、族や群れ、特に家族と呼べるまでに複雑かつ綿密な社会集団を形成する習性のある動物種の、極少数の個体に起こる出来事です。
やっぱ改行
大事なとこだけピックアップしつつ更に説明を加えますと、ネオテニーとは幼形成熟であり、姿形が幼いままに、言い換え、他の個体と比べて幼い風貌を保ったままに、所謂成長期を終える、そしてその代わりに早くからそして強く、平均的な個体よりも知的(、心理的、感覚的)に成熟するというような現象です。第二次性徴期も充分に迎えず、少年少女のどちらかか分からぬニンフかエルフかのような風貌を持った爆速プログラマーは、情報業界でたまに見かけます。彼らはネオテニーの極例だと思います。
そして危ないこととかなしいことがあったりします
危ないことは、ネオテニー個体はどうしてか自分自身への感覚に欠陥というか致命的な死角を持っていることが多く、より具体的には自分に関する身体的感覚や感情に纏わる感覚が希薄であることがあります。これは幼少期に発達させた知的能力/認知能力というものが、主には他者や環境、世界という外部環境に適応したり、そこで起こっている問題への対処や解決のために高められたからなのだと思います。ニンフかエルフのような爆速プログラマーは大体不安定だったり緊張感の高い家庭で育成していて、時たま容易にダウンしているのを見掛けます。ここで言っているのは完全に個人的な見解であり感覚です。
しかしかなしいことは常に素晴らしいことでもあるのですが
世界や社会や家族の中で、とある個体が幼形成熟する、自分自身の肉体的感情的な成熟とバランスと引き換えにしてでも、他者や社会や世界を想像し感触する能力を高め高められたのは、彼彼女にそうする器や素質があったからであり、そのような決定はみんなによるみんなのためのみんなの多数決によっているように感じます。しかしこれは複雑性が高過ぎて全く目には見えて来ません。社会的な動物の社会性とはそれ程の出来事であり、私達は爬虫類から完全に跳躍し、辿り着いた地点から各種の機能が相当に書き換えられています。
あらゆる個体がそうするように、ネオテニーもまた発達の過程を繰り返していきます。自分の内側と外側というものがあるのなら、内側よりも外側に耳を澄まし手を当て、自分に対しては与えることのない、どうしてか与えることのできない言葉を他者に投げ掛け、時に、やはりこれについては悲しいことであるとおもうのですが、内側を掘り崩しながら外側を耕してしまうことがあります。しかしそれは彼彼女の有能と善性、優しさの一側面か一時期でしかありません。
このようにネオテニーは繊細であり非常に有能であり、人間に人間のよろこびを想い出させてくれたりもするのですが、常に何処かアンバランスなところがあります。そしてこれらの個体の行く末と性能は、周囲にある人々による育て方と、少し遅れながらもだからこそ強く湧いてくる、本当の意味での彼彼女自身の意志と動機、方向性に依存しています。そう表現する意外に表現できません。
文明のトレンドはネオテニー日和です。それは単純に私達の社会が、あらゆるレベルでの過密と摩擦を増している、解決されるべき問題を縷々として溜め込んでいっているからだと思います。本日11月21日火曜日の13時48分、まるで気分でしかない吐き出しを終わります。