「お水問題」について
自分では「あたりまえ」と思っていたのですが考え方やスタンスを褒めていたいただいたので大した話ではないですが日記を記載します。
世の中では「お水問題」と言われていますが
聞いていて個人的思ったのは世の中によくある「アンコンシャスバイアス(unconscious bias)」の一例なのかなと。
セラピストがお水買うことが「あたりまえ」なのか?!
みなさんはどう思われますか?
今までのセラピストは買ってきてくれたのにな
お水ぐらいなんで買ってきてくれないの?
そう思っている人もたくさんいるかと思います。
セラピストのみなさんもどう思われますか?
他のセラピストもしてるしな
お店の人からもやったほうがいいと言われたしな
そう思っている人もたくさんいるかと思います。
まず大前提として、皆様個人個人がどう思うかは自由ですし、そこに何一つ間違いではないと思っています。
ただわたしのスタンスや考え方を少しだけ記載します。
本当に「当たり前」のことだけですがですが
お水買うことが「当たり前」なのか?!
お水に限ったことではないですが、それは「する側」と「される側」で変わってくるのかなと私は思っています。
自分が「する側」だとしたら、セラピストとしてお水を買っていくことは、私は「あたりまえ」と思っています。
ただ自分が「される側」だとしたら「あたりまえ」と思いたくないと思っています。
というのも
人の行動や思いやりに対して、「当たり前」と思うのは「する側」であって、「される側」が思うのは違うのかなと。
逆に「する側」が「当たり前」として行動するのではなく「してあげている」や「特別」などの思いを持って行動しているのも違うのかなと。
上記の「違う」という言葉は正確出ないかもしれないです。正確には、それの方が幸せなのかなと。
自分自身の行動に対して、どんなに大変なことでも、自分で決断して行動したことはすべて「当たり前」と思い行動してます。
自分でやっていることですもの。
逆に自分自身にしてくださったことに対してはどんなに小さなことだとしても「当たり前」と思うのではなく「心から感謝できる人」でいたいと思っています。
自分がやっている小さなことに対して、相手が「当たり前」と思うのは正直冒頭にも話したように自由だと思っています。
ただ相手も私の小さな当たり前のことでも、少しでも感謝してくれる人だったら、そんな人が周りにいっぱいいてくれたら幸せだなと思っています。
これは水だけでなく何事においてもそう思っています。
また男性女性とか関係なく、セラピストとかセラピストでないとか関係なく。
また本筋とは逸れてしまうかもしれませんが
そもそもお水でなくてもいいと私は思っています。
自分の思いやりや気持ちが相手に伝わるのであれば
大切なのは「相手への思いやり」だけだと思っています。
お水が持っていけないなら、別のものでもいいと思いますし、物でなくても一緒の時間が楽しくなる様な行動なんでもいいと思います。
その正解は2人だけが決めることですし、2人で探していければいいのかなと。
そんなことを思ってたりします。
ということでトレーニング行ってきます。
失礼致します。
西条 和真の写メ日記
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お水問題について思うこと西条 和真