【思い出】- 哀田 剛(エクスタシー東京)東京/性感マッサージ

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哀田 剛の写メ日記

哀田 剛

哀田 剛  (43)

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    哀田 剛
    思い出

    こんばんは!



    昼間の写メ日記にも、書きましたが、私がAV男優時代にお世話になりました、先輩男優が今月19日に亡くなりました。昨年3月に食道、下咽頭に癌が見つかり、骨盤と肺にまで転移し、最後はオプジーボにまで頼らざるを得ない状況で、1年3ヶ月に渡る闘病生活に耐えて、14日のツイート「もう無理」が最後の発信でした。



    その先輩男優は、沢木和也さんです。33年もの長きにわたってAV男優として活躍されていた偉大なるAV男優の先輩です。今夜の日記は、故人を偲んで、沢木さんとの思い出話しなどを。



    沢木さんは、私が男優なる前から、沢木さんが出ているナンパビデオが好きで見ていた側でした。その頃はまさか自分もAV男優になるなんて思ってもいませんでした。沢木さんは、男優としてバリバリ活躍されていて、ルックスも良ければ、!トーク力を生かし、ナンパビデオでも活躍し、「沢木和也のナンパ帝国」という、自分の名前が冠となる長く続いたシリーズがありました。



    やがて、自分もあるきっかけからAV業界入りし、男優となった訳ですが、自分がデビューした頃は、真っ黒に日焼けして、茶髪で今とはガラッと違った風貌でした。デビューしてから沢木さんと会うことになったのは、割と早かったと思います。まだ新人男優だった自分が、とある撮影で、当時沢木さんが事務所を構えていた原宿のオフィスでした。



    沢木さんも、真っ黒に日焼けして、精悍な顔立ちに、スタイルもよく、とにかく格好よくて、気安く話せないオーラを放っていました。その時は、ご挨拶だけで、あとはただ見ているだけでした。



    こんな自分でしたが、男優デビュー当時、沢木さんと雰囲気が似てるなどと言われ、リトル沢木さんなどと一部で言われ、そしてある日に、なんと沢木さんのナンパビデオ「沢木和也のナンパ帝国」の撮影に、沢木さんから直々にお声がけいただき、とても嬉しかったのを覚えています。その辺りから仕事の絡みもありましたが、プライベートでのお付き合いも始まり。



    お近づきになれたのはとにかく、いつもビデオで見ていた方ですし、嬉しいものでした。撮影で一緒になった時には、そのまま食事に行ったり、朝まで飲んだり、新宿二丁目で昼まで飲み歩いたり、女の子呼んで色々と遊んだり、、ほんと遊びという遊びは、沢木さんと共に。



    たいてい、沢木さんとのプライベートな時間は、お酒を飲んでいるので、けっこうべろべろに酔っ払って、自分がお世話したり、あちこち何件かハシゴして、朝方に新宿辺りでホテルをとって昼まで一緒に寝るというパターンでした。



    沢木さんが、べろべろに酔っ払って、なぜか自分が殴られて、目の周りが暫く腫れた時がありましたし、ある時にはなぜか、理不尽に投げ飛ばされた自分は鎖骨骨折という全治3ヶ月半に及ぶ大怪我をした事もありました。入院と手術も経験しました。その時の右肩から鎖骨辺りの手術跡は一生の付き合いとなりそうです。



    その辺りから、自然と沢木さんとは疎遠になり。



    自分の親にも殴られた事がない私が、無抵抗に殴られ、暫く仕事が出来ないほどの大怪我をし、理不尽に怒られても、そこは先輩として立てていましたが、自分はサンドバッグではないですし、最後の方は自分としては、疑問を感じ、正直にいいますと、憎しみであったり、お互いの意地から確執もありました。



    しかし、もう今となっては、もうそんな事はどうでも良くなり、意地を張ることなく闘病中に一度でも見舞いに上がって会っておけば良かったと。今はもう叶いませんが。



    男優なる前から見ていた人から、業界入りして憧れの先輩から、仲良くなり、色々な思い出や、色々とありましたが、今はただただ感謝の気持ちでいっぱいです。



    癌と戦っている時も、あの時のように自分のことを殴れるぐらいまで元気になって欲しかった。お子さんの野球をする姿をまだまだ見ていて欲しかった。またお酒を飲み交わしたかった、また色々とあんなことや遊びたかった。生きてるうちに仲直りしたかった。



    沢木さん、ありがとうございました。沢木和也というカッコよくて、偉大な先輩がいた事、そしてこんな自分のことを可愛がってくれたことを、ずっと忘れません。


     


     




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