その男は誰の目にも明らかなほどその女を愛していた
二人は男女の形として
この上ないほど満ち足りていて
「きっと僕たちはこの世界で最も幸せな二人なのではないか」と
そう思わずにはいられないほど
男は日々の幸せを信じていた
男はこの宇宙で最も高価な宝物を見つけたと確信していた
己の幸運に
己の存在に
ここへ至るまでの全ての出来事に
心の底から感謝していた
唯一の不満は会えない時間で
彼らが会えるのは月に二回ほど
それは二人が愛を語らうには
余りにも短い時間だった
そのわけは女の方にあった
詳しい理由は話さなかったが
彼女の家庭の事情は複雑で
とうに成人した今日でさえ
勝手な外出は許されないという
婚姻をせがんだこともあったが
それについても待ってほしいと言われていた
同様に家庭の事情があると
確かに歯痒い気持ちもあったが
彼女を産んでくれた家族の方針ならと
男はそれを尊重した
今はただ辛抱の時
時が来ればいずれ報われる
いずれ最も幸せになれる
男はそう信じて疑わなかった
ある日女は死んでしまった
それは自殺に依る死だった
男の元へ届いた遺書には
ありったけの地獄が綴られていて
男はそれを読み終えた後に
真っ直ぐその場所へ向かった
その女には両親がなく
親戚をたらい回しにされていた
そうして流れ着いた場所で
十数年もの長きに渡って
女は暴行を受けていた
犯され嬲られ殴られ売られ
人が思い付く限りの虐待を
彼女は一身に受けていた
抗えない暴力と恐怖に
女は屈することしかできず
道具として扱われる日々を
日常として受け入れていた
会える数の少ない理由も
結婚を待たされた理由も
彼女がよく転ぶといういう話も
全部女の吐いた嘘だった
それをひた隠しにし続けたわけは
彼に嫌われたくなかったから
そして彼女が愛したその男を
巻き込みたくはなかったから
長々と男の幸せを願った後に
その遺書はこう括られていた。
「こんなにも汚い私を
綺麗と言ってくれてありがとう。」
男は何も知らなかった
彼女の身に起こっていた事実も
この世に斯様な絶望があることも
彼女以上に綺麗なものも
その男は知らなかった
そしてそれから一週間後
男はある一家を惨殺した
執拗に拷問を加えた理由は
彼のエゴでしかなかったが
それで晴れたものは何もなかった
彼が彼自身を殺さなかった理由は
彼女の願いを叶えるため
そして彼女に合わせる顔がないため
男はこう供述を続けた
「嘘になるのが怖かったんです
私は彼女に
愛してると言いました
本当に彼女を愛していたからです
私はそれを証明しなければならなかった
ここで私が何もしなければ
全てが嘘になってしまうと思いました
私はただそれが怖かったんです
こんなにも許せないことを
なぜ許さなければならないのか
指を咥えて見ているなんて
このまま泣き寝入りすることなんて
私には到底出来ませんでした
彼らを恨み憎むこの感情こそが
愛があったことの証拠だと思いました
進んでこの手を汚したことも
あの日々を嘘にしないため
私にはもう
あの日々の思い出しか残されていないんです
私は許せないものを
ちゃんと許さなかった
これは間違っているのでしょうか?
彼女がどれだけ怖かったか
どれだけ孤独で寂しかったか
どれだけ痛くて苦しかったか
屈辱だったか悲しかったか
どうして私の最愛の人が
そんな目に合わなければならなかったのか
私には今でもわかりません
それは私のせいでしょうか?
違うのなら誰のせいでしょうか?
矛先がどこにもないのなら
どうか私のせいにさせて下さい
気づいてあげられなくてごめんなさい
そんな目に合わせてごめんなさい
何も出来なくてごめんなさい
愛していたのにごめんなさい
彼女のすぐ側に居たのは私です
だから彼女を殺したのは私です
何もしてやれなかった私に
どうか厳重な罰を下さい
何も知らずに愛をほざいた
最愛の人さえ救えなかった
そんな私を決して許さないで下さい
出来れば彼女が受け続けた暴力と
同じ罰を与えてくれたら幸いです
それだけが今の私に残された
唯一の幸せなんだと思います
私はこれまで
ただ幸せに生きようとしてきました
彼女を慈しんだことも
こうして復讐に及んだことも
全ては幸せになろうとした結果です
なのになぜ私はこうなったのか
なぜこんな心境でここにいるのか
私にはさっぱりわかりません
滑稽過ぎて
呆れ過ぎて
もはや笑えてしまいます
この世界で幸せになることが
こんなにも難しいことだとは思いませんでした
こんな絶望があるとも知らずに
誰かに愛を伝えたことは
迂闊だったのかもしれません
人を殺さなければならなくなるくらいなら
この世の愛の囁きなどは
全部嘘でいいのかもしれません
愛は平和の対義語なのでしょう
私は今
どうかこの世界が
愛で満ち溢れないことを願っています。」
相馬みさきの写メ日記
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供述相馬みさき