いや、ほんとお待たせしました。すいません!
第4回に渡り、「セラピストの価値」について語って参りまして、前回の日記の中で最終回の告知をしてからはや2週間と言ったところでしょうか。
やっと時間を捻出できたので、ここから最終回へ一気に切り込んでいこうかなと思います!
* 多分ここまでの議論を忘れている方もいらっしゃるかなと思うので、ぜひ第一話から読み返して頂けると嬉しいです!
では、始めます。
前回までの日記では、セラピストに対する価値決定をする構造を再構築すべく、僕が新たに「客観的価値」と「主観的価値」なるものを提示しました。そしてその前者が、この業界におけるランキンや、評判という目に見える指標を意味し、後者が貴女自身がセラピストと実際に共に過ごした固有の時間やDMの雰囲気、そしてその感じ方と言いました。
では、今回は
「実際に私たちはそのどちらを当てにしてセラピストを選んでいけばいいの?」
「とりわけ柚くんは、そのセラピストのランキング制度をどのように思っているの?」
という以上の2点について語って、今回の長い長い日記はひとまず締めくくろうかなと思っています。
まず初めに、
セラピストを選ぶ際にどちらの指標を当てに選んでいけばいいのか?について論じていきます。
では第一に、それぞれのメリット、デメリットを上げていこうかなと思います。
まず、ランキングや評判というのは、そのセラピストがどれだけ多くの女性に対し、好印象を与えたか否かといういわば確率論的な意味でそのセラピストに対し価値を与えます。
例えば、100人のうち70人が美味しいと答えたスイーツはおそらくきっと貴女が食べても美味しいでしょう。しかし、貴女があんこが好きでない場合、生クリームがダメな場合、その他の理由で残りの3割の集合に属する可能性も往々にしてあります。
つまり何が言いたいか。
ランキングや評判はセラピストに実際に価値を与えます。ただその価値は普遍的なものではなく、確率論的に示されたものに過ぎず、たとえマジョリティが高評価を押しても、貴女にはそこまで刺さらないかもしれません。
そして、逆も然り、マジョリティには刺さらないセラピストに入ったとしても貴女にはもしかしたら刺さるかもしれません。
では一方、主観的価値に重きを置いてセラピストを選ぶ時を考えてみましょう。
この場合、当てにするのは可視化された情報だけではなく、実際にDMで話した感じ、入った感じを元にそのセラピストを選んでいく方法です。
この場合、実際に相手とそれなりの期間、コミュニケーションを図ることにより、先述の確率論よりさらに貴女に合うセラピストを選ぶことが可能になるでしょう。ただし、一人一人と実際にコミュニケーションを取るにはそれなりの時間的、金銭的コストがかかります。
したがってやはり現実的には「客観的価値」を指標にしていくしかないのでしょうか。
しかし、やはり哲学を学ぶ学生である以上、確率論的な解を結論として持っていくことに抵抗があります。
したがって、ここからはご提案なのですが、
とりあえず自分が何を相手に求めているのか、いくつか条件をリストアップし、それに見合う相手を探す。そして、そこからDMを送ってみる。(ただし、必ずしも全てのセラピストがDMに対応しているわけではない。さらにDMの相性と実際に会った時の相性との相関関係を示す具体的なデータがないなどの問題は留意しておくべき。)
これだと、それなりに時間的コストも削減でき、かつ、確率論に頼らないやり方で相手を選ぶことができる。
ただし、僕は完全に確率的にセラピストを選びこと自体を否定しているわけではありません。
方法論的にはそれは十分有効な手段だからです。時間的コストは限りなく低いし、良いセラピストに当たる可能性もそれなりには高いため。
では、ここから
「柚くんは、そのセラピストのランキング制度をどのように思っているの?」について、話していこうと思います。
僕はランキング制度に対し、肯定的な意見と否定的な意見、両方を持ち合わせています。
僕自身としてはランキング制度のあるお店には入りたくないですけど笑
肯定的な意見とて以下を挙げることができるでしょう。
①ユーザーさん達が確率に乗っ取りコスパよく良いセラピストを選ぶことができる。
②ランキングがあることでセラピスト同士も競い合うことで、店ないし業界のレベルの底上げにつながる。
③セラピスト自身が自分を客観視する指標になる。
否定的な意見
①あくまでランキングは確率であるため、絶対ではない。
②自分の推しているセラピストのランキングを見るともやってしまう可能性がある。
③セラピスト自身がランキングを上げることばかりこだわりすぎてしまい、ユーザーさんを平等に扱うことができなくなってしまう。
④そもそも、そのランキングを構成するための判断材料に正当性はあるのか疑問が残る。
(単純な売り上げの場合、そのセラピストが専業か兼業かによっても変わるため)
以上の点を踏まえて、僕は特にそのランキングに対し完全に否定する気はありません。(なぜなら肯定する理由があるからです。)
ただ、最後に言いたいのは、貴女が普遍的なものだと思っていたランキング制度はあくまで確率論的な指標でありまして、もし貴女がその人に入って刺さらなかったとしても何ら驚くべきことはありません。
ただ、産業革命以降、科学的思考というのが宗教を追いやり、我々の考え方の底に深く根付いていきました。そして、我々は日々何となく行う選択のほとんどは確率に頼っていることに気づくはずです。しかし、その自身が確立にしたがって行動していることは、ほとんどの人が気づかぬまま死んでいくのです。
ただ、本来、科学的思考(確率)は事象に対し相対的であるために、絶対的な普遍性をそこに持たせると矛盾が生まれるのです。 ( 100回投げて90回表になったコインは、表が出やすいコインであると言えるが、表の90回と裏の10回で何らかの条件的事象が異なるとも言えるというようなこと。)
評価が高い人に入ると絶対楽しめるというのはそういうことです。
相対的な科学的思考に、全てを網羅する絶対的な説明を求めてはいけません。なぜなら絶対を追求するのはむしろ宗教の方だからであります。
産業革命を経て新たにIT革命を経験している貴女の時代では、その科学的思考から完全に脱却することは困難でしょう。
しかし、その科学的思考がどのようなものなのか理解することで、新たな選択肢が増えていくのも事実です。
しかるに、皆さん、まずは自分が確率で行動していることを自覚し、そのパラドックスを理解した上で、それに従うのか否かその都度判断していくべきでしょう。
急速に変化を続けている現代はあまりにカオスでそこに知性を用いて我々はどうにか単純化して捉えがちですが、その単純化に寄与している装置を自身で脱構築して、その問題を変に単純化せず複雑なものは複雑なまま個別具体的に向き合い、新しい価値を再構築できたらいいですね。
柚香の写メ日記
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「セラピストの価値」 最終章 〜科学的思考を超えて〜柚香