【性格と何か〜性格診断のパラドックスについて〜】- 柚香(santuario)東京/性感マッサージ

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柚香の写メ日記

  • 性格と何か〜性格診断のパラドックスについて〜
    柚香
    性格と何か〜性格診断のパラドックスについて〜

    書店に足を運ぶとまず第一に今話題の書籍が陳列されている棚が目に入る。そして、その棚に目をやると必ずと言っていいほど「〜性格診断」や「〜性格占い」などの自己啓発や自己を一つの枠組みへカテゴリー化を促すものが今話題の本というポップと共に並べられている。
    先日サント大阪のキャスト全員で実施した、スイスの心理学者カール・グスタフ・ユングの理論に基づき作られたMBTI16パーソナリティ一もまたその一つである。(それぞれ固有の意志を持ち固有の経験をしてきた存在者である人間をたかが16種類のカテゴリーに分類できるはずがないだろと懐疑的立場に僕は立っているが)もその一つである。

    今回の日記ではそれらの信憑性云々について語るというよりはむしろ、それらによって定義づけられる「性格」とはそもそも何なのか?そんなものが本当に存在するのか?について論じて行こうと思います。

    まず初めになぜこのような疑問が浮かんだのかというと、それは「他者は存在するのか」についての問いを考えている時まで遡ります。まず哲学において主要な命題というのがいくつかあり、その一つに「自己」と「他者」の「存在」を問う存在論が挙げられます。デカルトの有名なフレーズを拝借すると「我思う故に我あり」ということで、とりあえずは今物事を思考している自己というものは少なくとも世界に対し存在していると言えます。(諸説ありますが)そして、次に「他者」の存在への問いに移ります。この「他者」が存在しているのか、存在していると仮定した場合それはいかなる根拠によるものなのかと考えた時に、挙げられる主張の一つに「我々は自分の気質(性格)を知ることができるから」というものがあります。

    一つ例を出します。
    もし我々が今の世界に誕生した瞬間から他者に出会うことなく存在し続けたとすると、自己の中に「性格」という概念は生まれてこないでしょう。なぜなら「性格」というのは他者との比較であり、他者との出会い、そして彼らから与えられるものであるからです。
    もう少しわかりやすくいうと、自分の性格を他者(他者が書いた書籍なども含む)を用いず、なんの比較も無しに判断することはできないということです。

    したがって、
    ①我々は自己の性格というものをある程度知ることができる
    ②その知る方法は他者から与えられる
    ③したがって他者は自己の精神の外に存在していると言える

    こう言った論理です。

    では、性格が他者から与えられるものであるとすると、それはいかにして判断されるものなのか。

    それは、自己の行動(action)の結果を元に他者に判断されるのです。

    例えば、僕が友人と連れ立って旅行に行くとします。そして、僕は事前に交通機関の時刻表や観光場所、さらには人気のレストランなどを全てリスト化し友人に共有します。するとその友人は僕に、「君は計画的な人間だね」と言います。
    この時初めて自己の性格に出会うのです。
    そして、我々の性格はその一つ一つの行為から判断された気質の相対でしかなく、その性格自体に到達することはできません。

    なぜなら自己と他者それぞれ独立しており、その間で完全な理解というものがあるならばそれはもはや他者が自己の延長と化しているからです。

    以上の論をまとめると、
    ①性格=自己が選択した行為を根拠に他者に判断されたものの相対
    ②他者にとっての他者である自己は完全に理解することはできない。
    ③自分の性格は他者を介してしか理解することはできない。

    したがって、自分の性格というのは自己自信が完全に理解することはできないのです。

    さらにいうと、我々は目覚めてから眠りにつくまで数えきれないほどの選択をします。そして、その選択は似たような状況であれど、その日その日によって微妙に変わってきます。
    我々は生きていると否応なく他なるものに出会います。するとそこからなんらかの影響を受けて自分の選択を変更することも多々あるでしょう。
    我々は昨日と今日で同一の人物だと思われますが、iPhoneのosのように日々アップデートされていくものなので今の自分と1秒前の自分は同じではないのです。

    しかるに、他者やテストによって判断された性格もその瞬間では意味を成しても、その1秒後には無に帰してしまうのです。

    ただし、少し擁護すると、他者による自己理解は不完全ではあれど、ある程度は可能であり、かつ、常に生成変化する自己も一つの持続した存在者であるとも言えるため、『性格診断』のようなものは一つのコンテンツとしては非常に興味深いものだとも思います。






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