第81号「MIKINOKIMI」
2023年5月27日、やっぽぽ✨
昨日からお暇頂いてます実樹です♂️
もう早速寂しいぃ…休まなきゃよかったぁ…とか言ってみたりね
普段から映画を観たり漫画を読んだりは出来てるんですが、落ち着いて読書をするリズムが出来てなかったのでこの1カ月をきっかけに始めようかなと思っています。
そして今日は前々から気になっていた本を読むことができました。
【江戸文化から見る男娼と男色の歴史】
です!
日記のネタにもなるし、僕自身もとても興味があったので、お休み期間に読破してやろうと準備しておりました~フゥ~。
令和5年は"BL全盛期"と言っても過言では無かったり、女性専用風俗も益々広がりを見せていますが、地球は廻る、歴史は繰り返す、遥か昔、江戸時代にもそういった風土が栄えていた時期があったのですねー!
僕も自分が歴史の中にいると考えると、やってて楽しいもんです。
時代の経過とともにタブー視されてきた「男娼・男色文化」ですが、江戸時代の初期は非常にオープンなモノだったそうです。
なんなら戦国時代から残ってますもんね、武将めっちゃ美少年好きやん。
ともあれ江戸江戸~✊✊(お侍ちゃんで検索)
江戸時代初期から生業として誕生した男娼の起源を語る上で切っても切り離せないある文化があります。
『歌舞伎』です。
歌舞伎の始祖、神社の巫女だった出雲阿国(いずものおくに)が創り上げた見世物「阿国歌舞伎(おくにかぶき)」は男女が舞台上で舞い踊る演目だったとされています。
男性女性どちらの性別の出演者でも、観客が気に入れば舞台のあとにお酒の席に呼んだり、夜のお供をお願いしたりできたそうです。
江戸時代初期の男娼文化はこの「阿国歌舞伎」が起源とされています。
男女混合であった阿国歌舞伎から派生して、女性だけが舞い踊る「遊女歌舞伎(ゆうじょかぶき)」が登場し、男性だけが舞い踊る「若衆歌舞伎(わかしゅかぶき)」と枝分かれしていきます。
遊女歌舞伎は文字通り遊女の方が出演する舞台なのですが、舞台上では男装していた出雲阿国に習って、板の上の遊女の皆様が男装して舞い踊るモノだったそうです。現代で言えば、あの大人気歌劇団。見せ物ですから性愛文化と深い繋がりがあるのは当たり前でしょう✨
逆に若衆歌舞伎は男性が女装して舞い踊っていたそう。「女形」なんて言葉が残ってますから、これは今の歌舞伎と同じなんだなー。
ちなみにBL用語で挿入する男性側を指す「タチ」ですが、歌舞伎で男性役の役者のことを「立役(たちやく)」ということが由来とされています。
そして、猫ひろしの芸名の由来は舘ひろしだそうです(関係ないけど)
現代の歌舞伎文化と比べると信じられないですよね!人気のある歌舞伎役者であると同時に大人気の男娼でもある、そんな奇特なスターが存在していたということ。昔の男娼はまず舞台の上で性好奇心多感な貴族の品定めに打ち勝ち、特別な夜を創造していたんですね。
そういった形で江戸時代の初期に"日本の性愛のプロ"は誕生し、女性側は呼称を「花魁」などと変えながら、吉原遊郭を中心に繁栄の一途を辿ります。
では気になる男性側はどうでしょうか。
江戸時代、吉原遊郭と同じように男娼が常駐する場所ができます。
「陰間茶屋(かげまちゃや)」と言います。
歌舞伎において、日の当たる舞台に立つ前の舞台袖、すなわち影の場にいる少年役者のことを「陰舞(かげま)」といい、それが由来になり、男娼は「陰間(かげま)」と呼称されるようになりました。
うんうん。良いですねぇ。
陰キャの僕にピッタリの呼称だぜw
ちなみに関東と関西では呼称が分かれ、関西では「野郎茶屋」「野郎」となっていたそうです。
ちなちなみちなちなみちなちなみに日本の西側出身の男娼の方が物腰が柔らかくて良いとされ、珍重されていたと史実があります。
陰間茶屋には出身地は勿論、年齢にも幅があり、女装をするもの、前髪があるもの、前髪がないもの、大男、など様々なタイプの陰間が存在したそうです。
令和の陰間茶屋も同じですね~!
とはいえ主に14歳~20歳くらいの美少年の陰間たちが活躍したこの「陰間茶屋」は今でいう日本橋や銀座を中心に繁栄していきます。
この陰間茶屋が時代に合わせて形を変えながら、萬天堂を始めとした現在の女性専用風俗のお店に繋がってるのかと考えると感慨深いものです。
そうか~いつの間にか拙者も「かぶきもの」になってたのか~。
膨大なこの江戸の男娼文化から幾つか(現代と同じやん)と思った部分をご紹介していきます。
【女性が遊ぶ時はラブホ的な場所に呼んでいた】
江戸時代の陰間の主な客層は侍や僧侶でした。しかし女性の利用も非常に多かったそうです。記録に残っていないだけで、男性の客数とほぼ変わらなかったのかもしれません。そんな密会のような会う場所は"かくれ閭"や"かし座敷"と呼ばれていました。とある陰間が残した日記の中には「夜明けまでに11回もやったし、0時の鐘がなったら、正常位以外の体位も求めてきて、髪をぶんぶん振り乱してなんつーか、呆れるくらい女は恐ろしいものだとつくづく思った」みたいな内容が残っています。ウケるw先輩わかります…女は恐ろしい…。
※一枚目の画像
【吉原の遊女や大奥の女中もこっそり遊んでいた】
武士や殿様から寵愛を受けていた花魁や御殿様の腰元もお遊びにいらしてたそうです。令和もそういった一面がありますよね?夜職の方が癒しを求めていらっしゃることもしばしば柴大奥最大のスキャンダルとされている『絵島事件』は大奥女中と陰間が駆け落ちして、島流しに遭った事件ですから、昔からなんか、いいですよねぇ。
【江戸時代のエムズビルが存在した】
「エッチなグッズがいっぱいあるよ」で知られる秋葉原エムズビルですが江戸にも同様に「四ツ目屋」というエッチなグッズいっぱいのお店が存在したそうです!もしかしたら今や世界的企業の"TENGA"とかのルーツだったりしたら、浪漫があるのだけど…興味があったら一緒に調べてみよーね☺️
【セラピストの教科書的なヤツがあった】
令和のセラピスト同様に全ての陰間が人気者になれるわけではありません。僕のように落ちこぼれのような男娼もきっといたんですね…うぅ…胸が苦しい…そんな陰間はきっと『評判記』を読み込んでいなかったはずだ!評判記というのは陰間に配られた書物のこと。いわばマニュアルです。そこには"身だしなみの整え方"や"性愛の技法"等お客様を喜ばせるための作法が記されていたそうです。ムダ毛の処理とか、口臭体臭に気を付けようとか、現代に通ずるものばかりが書いてあるみたいですよ!僕も読んで学ばなきゃ、きっと誰にも必要とされない…。
【男娼情報誌があった】
令和5年、女風店めちゃくちゃ増えて、セラピストも沢山いますよね~。ちょっと前で全国で約7000人みたいな記事を見たので10000人くらいに増えてるんとちゃいますかー?(違ったらごめんだけど)性的好奇心センス爆発女の君がセラピストを選ぶ際に情報誌のようなもので調べると思うんですが、江戸江戸~✊✊にもあったそう!その名も出版名『野郎蟲(やろうむし)』なんと禍々しい…そしてもう一つが『剥野老(むきところ)』です。陰間遊びの情報誌として大人気だったそうです!
【陰間にもランクがあった】
闇の組織・東京萬天堂は鬼畜です。健気な我らセラピストをあろうことか家畜のようにランク付けしています。しかし、この風潮は江戸時代にも存在した…。関東の陰間茶屋では「太夫子」「舞台子」「陰子」と三つのランクに格付けされていました。関西では「本舞台」「中舞台」「陰子」と分けられていたそうです。江戸の男娼たちもランキングシステムで戦いを強いられ血と涙を流していたなんて…てめぇらの血は何色だぁ!あと陰間のお尻もランク分けされていて「上豚」「中豚」「下豚」と良いお尻順に言われていたそうです。おいwやめw
【ダブルセラピOK!】
なんと!ちなみに僕はNG!「春画やん」って言われるかもだけど、とりあえず絵を見てください。黒い着物が陰間なので、は、は、は、8Pやんけ~!
※二枚目の画像
【江戸時代にも口コミあり】
ここで江戸時代の男娼様への口コミのご紹介です
坂田市之丞さんへの口コミ「顔うつくしく目もとに殺すところあり(顔が美しく、目元は見る者を殺すほどの色気がある)」
玉村吉弥さんへの口コミ「玉の姿は銀漢の月も粧を嫉みぬべし(玉村の姿は、秋の月さえその装いを妬むほどである)」
…歌だ!光るぅ!こういった肯定的な意見だけでは無くて中には「床入りが嫌いな様子」とか辛辣なものもあるのも僕らと同じなのでウケますねw
このようにどんな世界のどんな事象も過去と繋がって存在していると捉えると面白いなって思います。
以上です〜。
長々と失礼いたしました♂️
僕は自分の気持ちや気分を上げるためにこうやって性愛文化を調べています。
これも一つの心の決着の付け方です。
子供の頃の夢とは違うけど、今だって何も諦めずに君にモテたいし、ウケたいじゃん?
そのためにもまずは自分で「あれ?案外、僕ちゃんスペシャルなんじゃね?」って思い込んで、君に愛してもらえるようにがんばろーって思います。
5月も最後の土曜日です。
近頃は物騒な事件も多い。
出歩くなら気を付けてね。
見知らぬ夜こそ君の無事を祈ってるよ☺️
実樹
@miki_mantendo
実樹の写メ日記
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第81号「MIKINOKIMI?」実樹