今までとまったく違う朝を迎える。
まず第一に、ひとつひとつの音がはっきりと聞こえる。
風の音、鳥の声、布団が折り畳まれるときの乾いた音、それらの何気ない音が鮮明に聞こえる。
さらに、今まで気がつかなかった室内の細部の造形や模様に心が惹かれるようになる。
畳の縁の柄、天井の木目、小さな古い照明などから目が離せなくなる。
私はまるで子どもの視点に戻ったように、あらゆる物品の細部を見つめていた。
それはとても懐かしい感覚で、優しさと安心感に包まれているようだった。
朝食後、老師が問いかけてくる。
「今の心境は?」
「とても静かです。これほどまでに心がリラックスしているのは記憶にないほど久しぶりです。」
「意識の拡散が治まり、雑念が消え、心が一点にまとまってきているね。そうすると現実の真理が丸見えになるから不思議だろう。今は何も無いでしょう。表現のしようがない楽さでしょう。」
「はい、本当に。とても楽です。朝食のお味噌汁の美しさと美味しさに感動しました。今まで私はそのような幸せさえも見過ごして生きていました。私は今、感謝しかありません。」
「明日はいよいよ下山だね。5日目でようやく無我の境地の一端を垣間見ることができた。今は雑念が入ってきてもすぐに一呼吸に帰ることができるね。」
老師が言うように雑念や想念が心に侵入してきても、「今、ここ、この一瞬」に意識が集中することでそれらを瞬時に断ち切ることができる。
それには心の静寂が必要不可欠であることがわかった。
全身の筋肉がリラックスすると同時に、かつてないほど感覚が研ぎ澄まされていた。
私は目の前の行為と心を1つにすることができていたように思う。
ただ見て、ただ聞き、ただ歩き、ただ呼吸するという「心の揺らぎのない気持ちよさ」を感じていた。
禅の写メ日記
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参禅記 5日目禅