「セックスと人生のターニングポイント」~セックスを求める側と、拒否する側どちらも経験した私~

「セックスと人生のターニングポイント」~セックスを求める側と、拒否する側どちらも経験した私~

目次

1. 初めてのセックスレス
2. セックスを拒否していた私

香水販売のビジネスや、モード界に新しいスタイルを提案し巨万の富を築いた、ココ・シャネルの人生の始まりはなんと、孤児院だったという。
恋多き彼女の人生にはたくさんの男性の存在があった。

彼女の作品には恋愛からインスピレーションを受けたものが多く、シャネルのロゴマークは、生涯で彼女が最も愛した男のイニシャルと自身のイニシャルを合わせたものでもある。

1939年第2次世界大戦勃発の年、56歳でメゾンを閉め、隠遁生活を送っていた彼女は71歳で再びモード界にカムバック。

“退屈な生活の中で生きながら死んでいる状態を続けるなら大失敗を選ぶ”

87歳で生涯を終える直前まで恋に仕事に打ち込んだ超人的なバイタリティ溢れる彼女の生き方は女性の生き方や時代を変革し、唯一無二のかけがえのない存在として歴史に名を残した。

待ち合わせの合間にふらっと入った書店で出会ったシャネルの言葉は新たな指南書となりそう。

 

初めてのセックスレス

20代OLの頃付き合っていた彼との話、定期的な行為が突如無くなった。
「疲れている」「眠い」「忙しい」と仕切りに言うようになり、トイレにこもる際に携帯をいじくる様子や、背を向けて寝ることから、別の相手が出来たかなと察した。ベッドの横の引きだしに常備している避妊具を思わず勘定した私。

(ヤダ・・・数が減っている!・・・)

もうこうなったら、いくらセクシーな演出や作戦を試みても無駄。距離を置いたところで大事にはされない。浮気相手が誰かも判明し、同じ社内の女で、私より胸もデカく可愛かった彼女。未だにトラウマになっている。彼女に似ている女優のCMやポスターを見かける度に思い出してしまうほどだ。

 

セックスを拒否していた私

30歳で結婚した私は新婚当初から、徐々に性欲が沸かなくなっていった。ドラマのラブシーンでさえ、受け付けない自分がいた。職場では新婚というと「夜は毎日シテるの?」と言われ、以前の私なら「朝までヤッてました!」と返答していたと思うが、「そうですね~」と冗談返すのもしんどくなったほど、セックスに嫌悪感さえ抱いた。

今振り返ってみるとそれは“母になる準備期間”だったのかもしれない。不思議な事に、妊娠する数か月前はブラを外すと、カップの内側が湿っている事があり、病気かと焦ったもの。それを機に乳がん検診に行くと「母乳だと思う」と医師に言われ、そんな事もあるのかと思ったのだ。

その頃、通常の仕事の他に、夫の仕事を手伝っていた為に休みは無く、セックスよりも睡眠と思うほどで、その度にお断りしていた。

「おっぱいが痛い」「次のお休みに」「生理不順で」など、だんだん言い訳も通用しなくなり、止む無く行為に及ぶものの、ムードも何もあったもんじゃなく「つらい」「もう嫌」「早く終わって」・・・心が擦り切れそうでいつも隠れて泣いていた。

すごく体調が悪いのは仕事のせいだろうと思いつつも、薬局で妊娠検査薬を買いテストした。そうしたら即座に陽性反応が出たのだった。

夫とは破綻寸前の生活。結婚を祝福してくれた人も少数、親には勘当されていた。婦人科へ行くと一通り検査をし、内診台から降りた私に先生と看護師は満面の笑みで

「おめでとう!妊娠です。心音も確認出来ている。」

結婚して2年目の年、初めて言われた“おめでとう”に涙が止まらなかった。
(親は選べないというけども・・・私なんかでごめん・・・。)

人生のターニングポイント、もう一人の人間の人生を背負う事になった私。

この記事を書いたライター

kaikannews

KaikanNews編集部

kaikan_news



オススメ記事