【幼稚園時代】
幼稚園時代は、何事もトラブルがなく過ごしていた。
恥ずかしがり屋で引っ込み思案でいつも金魚の糞みたいにエリコちゃんの後ろにくっついて過ごす、りえこちゃんにはお兄ちゃんがいたけど、私には上の兄弟がいなくどうコミュニケーションをとっていいのか分からず。
お友達ともはっちゃけられないので母たちの輪に逃げる、2月生まれ 背の順前から2番目、超小食で弁当が食べきれない。比較的ヒエラルキー低めな陰キャとして集団生活をスタートさせる。
比較的昔からぼーっとしているのでスイミングスクールで後ろの男の子に押され溺れかけて水が嫌いになる。
すごい印象に残っている出来事がある。
その出来事は、私は年長〜小学校1年生に上がる春休みに足立区から埼玉県春日部市に引っ越すんだけど、その春休みに浅草の松屋(百貨店)の屋上遊園で起きた。いつものように屋上庭園で遊んでいると、少し歳の上の女の子に「友達になろうよ!」と声をかけられた。
読んでいる人にとってはなーんだそんなことか。と思うかもしれないけど、恥ずかしがり屋引っ込み思案で家と幼稚園の友達しか知らない私にとって知らない人からの「友達になろうよ」は雷が落ちるぐらい衝撃的だった。
(新天地でも「友達になろうよ」と声を掛ければ友達になれるのか・・・・・。)
春日部に引っ越した後、思い切って入学式に話しかけたりえちゃんという友達ができた。その子がきっかけに、人生で1番死にたい時期小学校2年生のいじめになると、その時は知らず・・・・。
ここまで書いて思ったが、比較的小さい頃から人間とどう関わっていいのかが分からずコミュニケーションは苦手分野なのかもしれない(なんで接客業やってるんだろう…)
【小学校低学年】
小学校1年生は割と順風満帆だった気がする。近くに住むヒミコちゃんとローラーブレードで遊んだり、まぁまぁ純粋に楽しんでいた。
今は全然踊れないけど、ダンスも習い始める。水泳は相変わらず水が苦手な為夏休みの補習に呼ばれる。滑舌が悪い?とのことで(今思うと発達障害の療養だった気がするけど)ことばの教室のお声がけがかかるも、妹2人がまだ小さかったので気を使って行かなかった。
【小学校2年生】
この時期は人生で1番死にたい時期で、小学校2年生ながら自死を考え包丁を持ち出したり、階段から落ちてみようと試みたことがある。原因は学級でのいじめだ。
いじめられた理由は些細なことで、前述のりえちゃんが脳腫瘍?を患っていて体が弱かった。いつも蓮田にある小児医療センターに通っていた。
6月にある東武動物公園への遠足で同じ班になる。同じ班には、りえちゃんと私、男の子が3名ぐらいいた気がする。長女なりに同性だし友達だし病弱なりえちゃんをおせっかいしまくるわけだが、同じ班の男の子がどうやらりえちゃんのことが好きだったらしい。りえちゃんと仲良く過ごす私が気に食わない。
そんな単純な嫉妬が理由で小学校2年生の6月から12月まで男の子2/3に虐められる。担任は助けてくれないし、母親は「なんとかなるよ!」で乗り切らせるし正味7歳で人生の地獄を味わった。
担任は助けてくれなかったが小学校4年生になった時も同じ担任で尚且つ他の子のいじめを放置する姿を見て校長室に直談判し報復済みである。母親は話を聞いてくれたが常に「なんとかなるよ!」しか言わなかった。
おかげさまでプラス思考変換器が頭に搭載され「なんとかなる!」で生きられるわけだが、たまに自分の心を蔑ろにしてしまうため寝込むことが多いし、人を頼れないのは自分の弱点だな。なんて思う。
その時味方でいてくれたのは女子と1/3の男子だった。過去の自己分析(自分史)をしててびっくりするのは、結局この時の1年間が大きく人生の核を作っている気がする。(あぁ、あす香先生そういうこと!ってなっちゃうよね・・・・。)
今も、女性に感謝と恩返し、優しい少数派男性に生かせてもらうわけだ。あの時にクラスの男性全員がいじめに加担していたらSPAWhiteはやっていないだろう。大人しくもいじめに加担しなかった男性や「もうやめようよ!」と声を張り上げてくれた男性のおかげで今の自分がいる。
(そんな人生だから社会的弱者がすごい気になってしまう。人の気に敏感だ。)
強くなりたい・・・小学校3・4年生ぐらいから30歳入るぐらいまで(最近やんw w w)、自分が女性である性別に対する違和感で苦しめられるようになる・・・・
続
あす香の写メ日記
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自分史②あす香