【“ちょっぴり倉科タイム”第2話】- 倉科 あつき(FIRST CLASS)東京/出張ホスト

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  • “ちょっぴり倉科タイム”第2話
    倉科 あつき
    “ちょっぴり倉科タイム”第2話

    こんにちは、倉科あつきです



    待望の“ちょっぴり倉科タイム”第2話の時間です
    ←誰も待ってない



    前回のテーマは、“12年間の野球人生”についてでした
    (2/15投稿)



    本日のテーマは、“なぜ医療の道を選んだのか”です




    ちなみに、“ちょっぴり倉科タイム”とは、、、
    倉科がこの世に性を落としてから今日まで
    歩んできた人生をちょっぴりお伝えする
    といった日記です
    私の事を知っていただきたい想いで
    誠に勝手ながら始めることにしました










    過去を遡ること数十年前、まだ野球少年だった頃


    僕はボールの投げすぎで野球肘になりました
    (※野球肘とは成長期にボールを投げすぎることによって生じる肘の障害。投球時や投球後に肘が痛くなります。肘の伸びや曲がりが悪くなり、急に動かせなくなることもあります。)



    投げることも打つことも痛くてできない


    日常生活に支障が出る


    そんなボロボロの状態でした








    早く治して試合に出たかった僕は


    病院に受診することを決めました


    その時の整形外科の先生に、


    「これはリハビリが必要だね」


    と言われました


    これが、今の仕事との出会いでした









    当時のリハビリの先生は、焦る僕に対して


    色々な言葉を投げかけてくれて、身体だけではなく


    心身もサポートしてくださいました




    リハビリ期間は約半年




    辛く長い日々を頑張ってこれたのは、間違いなく


    当時担当してくださった先生のおかげでした


    その先生の姿を見て、話をしていくうちに


    僕もこの仕事をして、誰かを助けられる人になりたい


    そう思いました








    この仕事をする人は、8割がスポーツによる障害を


    キッカケにリハビリした方が多いです






    でも、僕にはそれにプラスしたもう1つの理由があります


    それは、地域のおじいちゃん、おばあちゃんに


    恩返しをすることです






    生まれ育った場所は、畑や田んぼばかりで


    近所の方は、お年寄りの方ばかりでした


    いつも、学校帰りに畑に寄り道して


    おばあちゃんと今日の出来事について話をして


    野菜を貰って帰るのが日課となっていました







    僕は、地域のお年寄りの方々に育ててもらいました


    だからこそ、リハビリの仕事について


    地域のお年寄りの方に恩返ししたいと思いました







    正直、まだまだなにもしてあげる事ができていませんが


    これから必ず地域に出て、お年寄りの方々に


    元気を届けたいと思います


    1人でも多く、歩ける人を増やしたい


    1人でも多く、悲しい思いをする人を減らしたい






    医療が行き届いてない地域に、いつか僕が出向いて


    最高の医療を提供していきます


    これが僕の夢であり、この仕事を続ける理由です







    以上、"ちょっぴり倉科タイム"でした









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