唐突ですが、このKaikanの写メ日記機能は映画や書籍等のレビューと紀行文、時々告知くらいの使い方にしようかなぁ思ったので、暫くはそんな感じになると思います。よろしゅうに。
それではいきましょう。
ナ・ホンジン監督『哭声/コクソン』
2016年公開の韓国映画
興味があったらあらすじはコチラから( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%AD%E5%A3%B0/%E3%82%B3%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3)
いやー、DVDのパッケージに書いてあるあらすじを見た時には一般的なサスペンス作品だと思ったんですけど、見事に裏切られました。良い方向にね。
作品を観始めて、途中までは予想の範囲内と言うか、パワー系コリアンゾンビが出てくるバイオサスペンスものだと思ってたんですよ。ですが、中盤くらいから「祈祷」とか「悪霊」みたいな言葉が頻出するようになるにつれて、俺の頭の中には「もへ?」という文字が頻出するようになりました。
それでも俺は根が頑固にできてるので「ははーん、祈祷とか悪霊とか言ってるけど最終的には科学特捜隊みたいなのが出てきてインチキ祈祷師とか似非悪霊をフルボッコにするのね。なるほどなるほど」と思ってました。
まぁ、俺の予想に反して最後まで祈祷とかが大切な役割を果たす作品だった訳ですが。
この作品を観終わって数十分はずーっと頭を抱えて「これは一体何だったんだ...」と敗北にも似た辛酸をペロリと嘗めていたのですが、暫くすると自分なりの解釈が出来て、夕飯の納豆ご飯とサラダをモリモリと食べる頃には確信に変わってました。「ええ作品やったな」と。
俺なりの解釈だけど、この作品には聖書(ちゃんと読んだ事ないからよく分からん)を下敷きにしつつ「現実と非現実/夢と現/妄想と現実」みたいなテーマが根底に流れてる気がしました。そして更に面白いなと思ったのが、現実と非現実の様なそれらの境界線ってのは非常に曖昧で脆いものだという観点も示唆されていた気がしたんですよ。
俺はこの(殆どの事象は何かの二元論でキッチリ割り切れる訳ではないという)考え方は本当に重要だと思っていて、何かについて語る時に「〇〇である/〇〇でない」だけで片付けようとする論法には徹底的にアンチを貫いてるんですよ。物事は色んなレイヤーを持っていて、そんな単純ではないと思います。
そんな、二元論の危うさや自分の頭で考える事の大切さを、鈍器で殴られるかの如き衝撃とともに再確認させてくれた作品には本当に感謝の念が絶えません。
それと、謎の日本人役を演じた國村隼さんがとても素晴らしかった。怪演ってのは正にこの事なんだろうなと思いました。
そんな感じですかね。
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