僕は小学生の頃からジュディマリ
中学生の頃からYUKIが好きでライブは何回も足を運んでいる。
昨年はアルバム『SLITS』が出た。
名盤すぎてリリースからヘビロテしている。
無論、絶対に生音で聴きたかったから
金沢市の北電ホールまでツアーを観に行った。
個人的に過去一素敵なライブだった。行ってよかったと心から思う。
そんなYUKIのconcert tour “SUPER SLITS”2024のLive Blu-rayが6/24の発売日に届いてからもう2回通しで観たんだけど
毎回10曲目の『One,One,One』という曲中に
公衆電話に入ってYUKIがこちらに語りかけてくる演出で胸がキュッとして泣いてしまう。
会場でもここの演出でウルっときた記憶がある。
この気持ちに共感してくれる人が1人でもいたら今日の日記はそれで充分。むしろ一人占めしたい。それくらい素晴らしいライブだった。
ライブでは、『One,One,One』の曲の途中
電話ボックスに入ってこう語りかけてくる。
「スマートフォンがなかったときはこうやって公衆電話を探してよくあなたに電話をしたね」
「10円玉と100円玉握りしめてさ」
「ここにこう綺麗にタワーみたいに積んで」
「最後の一枚までね、言いたいこと言えなくて、あぁまだ切れないでって。懐かしい。その頃のことを思うとなんか胸がキュッとなる」
「雨の日も雪の日も公衆電話を探したなぁ」
「あ、でもねわたし雨の日はそんなに嫌いじゃないよ。あなたと一緒なら。瞼を閉じたら花模様が雫になって肩に落ちてくる。帰り道はいつも…」
そして曲へ戻る。
YUKIは表現者として最高峰のディーバだ。
なんでここでグッとくるのかなって考えていた。
公衆電話に行かないと電話をかけられないという
今からしたら「不便な過去」にも
人と人が通じ合いたい気持ちは存在したし
確かにあの時あなたと時間を共有したんだ
って、まずはそんなメッセージを受け取った。
YUKIの場合は公衆電話という過去のフィルムの一枚を投影して「誰か」への気持ちや
過ぎ去りし「過去」の砂時計から記憶を取り出していたけれど
僕たちにだってそういうシーンはあると思う。
例えば。
昔ここには〇〇って店があったなぁ。
今はもう駐車場になってしまっているけれど。
よくお父さんお母さんや兄弟とご飯を食べに行ったなーって。
都会で働く私たちが盆休みや年末に実家に帰る道すがらそんなことを思った経験はないだろうか。
自分の原体験を司る場所や人、物事も
いつかは無くなってしまう。
時間を共にした大切な人もいつかはいなくなってしまう。
そんな悲しみ、みんな生きていく中で
感じることがあると思う。
なんとも言えない気持ちになる。
僕にも経験はある。
けど、こういった気持ちを感じた時に
悲観的にならなくてもいいとも思う。
何故なら、いま目の前に映るものに当時の面影は無くなってしまっていても
目を閉じれば記憶のフィルムから取り出せる。
自分の心の中に在り続ければ
その場所、その人と営み、感じた気持ちは消えない。
そう思うから。
余談だけど、本Liveのセットリストではその次の11曲目が『雨宿り』なんだよね。セリフや演出の伏線も回収してるし曲の世界観や情景が心にダイレクトで伝わってくるし繋ぎ方も素敵だった。
YUKIも前田さんも演出家さんも本当に本当にありがとう。。
YUKIの歌詞が好き。
芯のあるコトバが好き。
自分らしさを大切にするところが好き。
YUKIには傷ついてかまわないという覚悟が常にあるから好き。
そんな「好き」の話でした。
佐藤 充希の写メ日記
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YUKIが好き佐藤 充希