【『悔い改めよ』】- 佐藤 充希(LUST)東京/性感マッサージ

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佐藤 充希

佐藤 充希  (32)

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  • 『悔い改めよ』
    佐藤 充希
    『悔い改めよ』

    ご質問ありがとうございます。


    今晩のテーマは、問題行動後の復帰について


    ということでとりあげます。


    まず、この質問文を読んだ第一感は


    正義感に溢れた人がいるもんだなぁ


    です。(嫌味ったらしくバカにしたいわけではありません)


    あなたには人を選んで風俗利用する権利があります。


    ということは利用しない自由もあるということであります。


    だから、あ、無理と思うなら、そっと遠ざけましょう。


    寄り添う系の回答ではなく申し訳ないです。


    裏引きその他違反行為は
    もちろんいけないことです。


    けれども、私刑であったり、
    まるで殺人犯を糾弾するかのような
    過剰バッシングをする風潮には
    個人的には違和感があります。


    悪いことしたら、制裁を受けて当然。


    私もそう思います。
    社会がそういうルールで回っていることもわかります。



    しかし、それは、イコール群衆が


    石を投げるための
    大義名分にはなりません。


    ヨハネの福音書第8章3節から11節に、
    「姦通の女」の話があります。


    「罪なきものだけ石を投げよ」


    というキリストの有名な説教です。


    福音書の中では周りにいた律法学者たちは


    イエスのそれを聞くと
    一人また一人とその場を離れて行きました。


    彼らには「自分には罪がない」
    と宣言することはできなかったからです。


    キリスト教的価値観ではありますが


    それこそ教えの中で、裁きは神が下すのであり


    自分を神扱いすること=律法違反であるから
    という背景もあります。


    最後にひとり残された女に、
    イエスは言いました。


    「私はあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」(意訳です)


    イエスは女を赦したわけではありません。


    罪は罪。彼女は赦されないことをしたのです。


    今から彼女ができることは、心から悔い改めて神を見上げること。


    (わたしは宗教観の押し付けをしたいわけではないのでここでの神は、「自分の信じるもの」に置き換えていいと思います。)


    そして、もう罪を犯さぬよう自分を律することです。



    どれほどの重罪人であれ
    人間には「絶対正しいさばき」を
    下すことはできません。


    それは神さまがしてくださることなのです。



    わたしはこの仕事に限らず
    社会で人からの信用を得るという行為は
    他人に良い行いをすること以上に
    どこまでも自分を律することであると感じています


    悪事がバレた手前
    もう、0からのスタート
    いや、マイナスからのスタート
    と言って差し支えありません。

    専業ならば「いわくつき」の
    烙印を押されたら
    生活に直結するので

    過去の悪い部分を徹底的に
    自己批判した上で、Up or Upしか
    やるべきことはありません。

    「悔い改めよ」しかないのです。


    もう心入れ替えるから、なんて
    言葉だけでは到底改心できません。

    ただし、悔いを改めるのであれば
    今日が新しい自分の誕生の日です。


    この日記で、強調したいのは
    悪事に対して、制裁を下すのは
    群衆ではないこと。

    制裁は、受けて然りであるが
    その後、赦し(チャンス)を与える社会であってほしいということ。



    以上。


    佐藤充希




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