SMについてよく聞かれるのと誤った理解をされている方が多いと思ったため、少し日記に書きます。SMの奥深さと大切なことについて簡単にですが。
SM (Sadism Masochism)
DS(Dominant/submissive)
BDSM(Bondage/Discipline/Sadism & Masochism)
性的な嗜好を表現する言葉は上記以外も様々あります。どれも抽象的な表現であります。
一つの要素だけでなく複数の要素に跨ってそれぞれの性的なパーソナリティを構築しているの「Sadism」や「Dominant」など、一言で性的パーソナリティを表すのは本来できないと思っています。
例えば「Sadism=加虐性愛」と一言で言っても、痛み(加虐)について物理的なのか精神的なのか、物理的な痛みの中でも鋭さや鈍さなど、趣味嗜好は人の数だけあります。
ただそんな中でもSM 、DS、BDSMに共通していることがあります。
「1人では成り立たないこと」です。必ずしも1人でなく「相手があってこそ」ということです。
だからこそ大切にしたいことは「何をする」でなく「誰とする」だと考えてます。一番は「誰と」「何をする」の両方かもしれませんが。
同じことをされても、誰にされるかで感じ方や意味が違ってくるからです。
もしも皆様がされて嬉しいことを、「赤の他人」にされるのと「自分が興味がある人や好意のある人」にされるのでは全く別なのかなと。
私自身はそうです。誰にでも同じことをしたいと思わないですしされたいとも思わないです。
その人だから○○をしたい、その人だから△△をしたい。誰にでもすることはないと思います。
だからこそ、お会いする方も少しでもそうであったら嬉しいなと思っています。
「何をする」でなく「誰とする」かを大切だと思ってくれていたら嬉しいなと。
もちろん「何をする」と「誰とする」の両方が大切と言ってくださるのなら本望です。
加えて「いつ」「どこで」まで大切にできたら
できないとしても、「少しでも一緒に大切にしたいな」と思って下さるだけで幸いです。
西条和真
西条 和真の写メ日記
-
多くの日本人が誤って理解していること西条 和真