【以前にした仕事】- 哀田 剛(エクスタシー東京)- 性感マッサージ

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哀田 剛の写メ日記

哀田 剛

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    哀田 剛
    以前にした仕事

    こんばんは! 今日も一日お疲れさまでした!


    今日の日記は、今頃の季節になると思い出す、以前に自分がしていた仕事について。



    東日本大震災があった、2011年にはもう既に女性向け風俗で働いており、お店所属のセラピストとして、指名もバンバンいただいて、この仕事一本で食べておりました。そんな時に、3月11日にあの東日本大震災。



    3月11日のその日の夕方から、東北地方に住んでいる、親戚や友人などへ、何度も何度も電話するものの暫く、電話が通じなくて、数日たってやっと無事を確認できて安心したものでした。そして、震災直後に、ご予約いただいていたお仕事があり、そんな状況のなかでも、キャンセルなることなく、受けたお仕事をしました。正直、その時ばかりは、キャンセルならないかな、このような時に風俗の仕事などしている場合じゃないな?と、自問自答。



    その後、3月下旬には、女性向け風俗の仕事を休業とし、横浜のある建設会社の作業員として働いていました。月曜日〜土曜日まで週に6日、朝8時〜17時が定時で残業も度々。一つ目の現場は都内、そこが終わり、次は埼玉県加須市という、自宅から遠いため、会社が用意したアパートを寮にして共同生活。



    それまで自分が経験した、AV男優や女性用風俗の世界とは全く違った世界へ飛び込んだ訳です。まあ、男だらけの職場です。女性といえば弁当屋のおばさんか、女性作業員の方もいるには居ましたが、一人とか。職場の先輩にあたる人達はまあ様々な方が。自分が住込みで入ったその現場の職長は、17歳でこの仕事に入り、キャリア20年近くのベテラン、自分より歳下ながらも自分は敬語で話すし、仕事を教えてもらい、上司となる訳です。他にも現場の先輩たちは、少年院あがりでこの世界に入ってきたという、二番手の先輩、あとは裸になると背中に筋彫りといったまだ未完成の入れ墨をした人もいたり、日曜日には、朝から晩まで競馬場に入りびたり、競馬の為に働いているような、まあいろんな方がいました。



    そこの会社に入ったのは、自分を当時可愛がってくれていた方が仲良くしていた方が会長を務める会社で、そんなコネもあり、将来幹部候補として、待遇も良い方でした。



    埼玉県のその現場は、暑くて有名な熊谷市の近く、一日に何リットルの汗をかいたのか、滝のように流れる汗というものを経験。もう5月から暑くて、6月入って現場で二人ほど熱中症で倒れていました。もう毎日、朝がくると憂鬱でしたね。朝出勤する前の天気予報見ながら、あ〜今日も暑いなあ〜何度まで上がることやら、35℃〜40℃近くの日もあり、体感温度は40℃以上の日も。(汗)



    しかし、現場に入ってからは、知らない事だらけでしたが、少しづつ仕事を覚えてはいましたが、自分がコネで入り、待遇も良く、それを面白くないと思ったのか、または自分も当時生意気だったのか、わかりませんが、たまに可愛がりといったイビりもありました。昼ご飯時に、こちらが飯を食べている時に、「おい、コーラ買ってこい」作業中に「あれ持ってこい」「そんなのもわかんねえのか!」などと、罵倒される毎日、理不尽な事を言われることも度々あり、そんな時は、周りにバレないように、流れる汗に紛れて涙を流したことも。



    まさか、その歳になって、年下の人から、そのように怒られたり、罵倒されたり、いびられる事があるとは、思ってもいませんでした。ある時には、同じ会社のその職長に、その辺にあった木材で、自分の肘あたりを叩かれ、痛みがあったので、病院に行きたいから休ませてと言ったら、「それぐらいで休むのか?」と、言われ、痛みを我慢しながら、休まず働いた事も。もう根性でしたね。



    職場の人達とは、仕事中も一緒、寮に帰ってからも一緒、しかも、同室の先輩のイビキが凄い人がいたり、朝方寝ている横で煙草吸う人がいたり。やすらげるのは、眠っている時間と、休み日曜日ぐらいなもので、まあ、なかなかの経験でした。



    そんな、現場仕事を4ヶ月近く経験しました。そのような世界も見れたことは、自分にとって貴重な経験となりました。生きていく上で、経験してきた事は一つの無駄も無いと思います。もし、続けていたら、どうなっていたのかと、たまにふと思います。




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