どうも、めぐるです。
今は見れない僕の古い日記、その数90件。
今回はそんなアーカイブから一件の日記を拾い上げてみました
前回までの日記で触れた、「改行してほしくない界隈」や、「読書好きとの間の壁」についても言及しているので
ぜひ併せてご覧ください
なお、表現や改行などにアレンジを加えております
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あらゆる疑問や欲求がインターネットやメディアで解決する、この令和の時代
なぜ世の中には、わざわざ本なんてものを読む人がいるのだろう?
なんてことを、本を読む人も読まない人も、一度は考えたことがあるでしょう
安い、コスパ、 勉強になる、文化的な新鮮さ。
子供の頃からの習慣、あるいは惰性。
本というものが好きだから
読みたいものが本でしか出ていないから
字を読むのは疲れるけど、そのぶんの感動なり面白みがあるから
しっくりくる理由は、こんなもんじゃないでしょうか
しかしこの世の中には、上に挙げたようなものとは全く関係ない理由で読書をする人間がいます
——快楽。
そう、純粋に文字を読むと気持ちがいいから。
そういう享楽的な理由で本を読んでいる人がいます
けっこういます
……文字を読む快楽?
普段、本を読まない人からすれば意味不明でしょう
が、世の中には“活字中毒”という言葉があるくらいで、文字を読む快楽というのはときに麻薬にも匹敵します
そしてその気持ち良さは、他のコンテンツでは替えが効きませんし
そういう人間は最後には必ず読書に行き着く定めにあります
これは読書という趣味を選ぶ究極の理由といえます
この感覚、四六時中Twitterのタイムラインを眺めていられる人になら分かってもらえるのでは、と思ってますがどうでしょう
「え、ならTwitterでいいじゃん」
と言いたくなるのもわかりますが、それは間違いです。
その快楽は読書のそれには足元にも及びません
活字美食家たちは、もっと食べ応えのある美味い文章と内容を求めておりまして
そして食べ応えのある文章はといえば、活字というパッケージの中にしかない。
なぜか。
困ったことに、食べ応えのあるような、本当に美味い文章というのは多少の読みづらさというか癖、のようなものがあるのです。
これは、味、というよりは歯応えのようなものです。
ですが良い活字の本というものは、書かれている内容の面白さで、その読みづらさや障害を破壊し尽くし我々を突き進ませ、気づけばページをめくらせているんです。
だから、クセのある文章や難しい言葉の羅列でもなんでか読めてしまう。
いうなれば文章は白米で、その内容はオカズ。
……残念ながらSNS上の商業化された文章は、そんなハードでマニアックな快楽を提供してはくれません。
そんな高カロリーな娯楽は求められていないからです。
よほどがっつりNoteなどを漁らない限り、魅力的なオカズと美味い白米のセットはそうは見当たりません。
決してそれが悪いわけじゃありません
SNSはお手軽でヘルシーなダイエットゼリーみたいなものです
むしろ合理的に洗練された文章だと言えます
ですが活字の世界にはパスタもフレンチもあるし、牛丼もラーメンもあるのです
活字ドカ食い。
これはもはや無知の悦びです
知の暴力
情報の加虐性
——ときに読書とは、それらを浴びる行為に他ならないのです
知的好奇心の泉から湧き出て、流れ込んでくる情報を脳で噛み砕き、それを最後の一滴まで飲み干す。
まるで常人には持ち上げられない巨大なバーベルを持ち上げようと挑戦する、無謀なトレーニーのように
マチズモ的に、脳の負荷を楽しむ
享楽的に、自分を破壊する
精神的なマゾヒズム。
一部の本好きや、活字中毒者にはそういう面があるのです。
なんて大層なことを書いてみましたが、
実際のところ、人が本を読む理由は人の数だけあるでしょう。
全員がこんなこだわりを持ってるわけじゃないと思います
ですが、重度の活字好きの多くは快楽の追求者です
そして、だからこそ、読書家に対して
変わった人だとか、
自分とは違うと、
距離を感じたりしないで欲しいんです。
結局はみなさんと同じで、
ただ気持ちいいことが好きなだけなんだから。
瀬戸口めぐるの写メ日記
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読書好きに変態が多い本当の理由(アーカイブ日記)瀬戸口めぐる