どうも、信長に敗れた明智光秀こと、めぐるです
前回はkaikanに見受けられる改行の種類をいくつかご紹介しました
結果、ほとんどのkaikan日記において一般的な活字の文章よりも多く改行が用いられていることまではご理解頂けたかと思います
さて、それではセラピストが改行を使いたくなってしまうのは、一体どうしてなのでしょうか
僕の考察と妄想を交え、ガチめにその本質へ迫っていきたいと思います
①視認性の向上
字が詰まっているのを見るだけで拒絶反応が出て画面を閉じてしまう方って、正直今の時代たくさんいると思うんです。いやいやそんなことないよって方、家電製品の説明書読んでますか? 契約書の書面全部読んでますか?
読んでるよ、という方であっても何度も何度も続けて画面の橋から端に視線を折り返せば当然目には負担がかかってきます。また、字が詰まっている画面を勢いよくスクロールすると、どの行まで読んだかがわからなくなったりもするので慎重にスワイプする必要があるのも厄介です。このとき壁のような字が上下に揺れるのを見ていると普通に酔って気持ち悪くなってきます。
——視認性に関して、結論は明らかです。
ある程度、活字より多く改行するべきと言ってしまって良いでしょう。
僕たちが生きることに苦痛を感じる義務なんてないのだから。
②操作性
スマホの操作はかなり特殊です
指を軽く動かすだけで慣性が働き、
まるでゲーム画面を操作するかのように適切なスワイプをしないと字を読めません
このときに重要なのはスワイプのリズムです
まるで楽譜のように、1小節=1スワイプになるよう文字幅を調整し、
なるべく一定の動作で画面を送ることができるよう配慮されている日記が多いです。
(前回の日記の④ショット改行がわかりやすいです)
ただ前回紹介した通り間隔にはバラ付きがあります
これは単純にセンスによるところと、
機種によって操作感や画面のサイズが異なることが原因だと思われます
奥が深いですね
③コスパ
ネット上にアップされたコンテンツは、その瞬間から無数の競合相手との戦いに身を投じることになります
ショート動画、ネット漫画、配信。
わざわざ頭なんか使わなくたって無限に流れ込んでくる現代のメディア
文字に関してだけは難しくしてOK、なんてルールはありません
いかに頭を使わずに知的快楽まで到達できるか、が大事なんです
文字数を少なくして
伝えたい意味や感情の機微を伝えられるなら
それに越したことはありません
これは書き手側にとっての「コスパ」でもあります
何万という字の積み重ねにおいて、一回あたりすこしでも文量を減らせるなら
推敲や校正といったブラッシュアップにかかる時間、さらには文字を入力する時間
これらを大幅に節約し供給を安定させることができるのです
④余韻
単純に、ただ表現として改行を味わう……
なんだかんだ無意識に使われている改行のほとんどは、この改行なんじゃないでしょうか
そもそも次から次へと流れてくる文字の奔流に、人間の繊細な感情が追いつけるはずがありません
人の心に寄り添うのが仕事であるセラピストなら
大胆に改行するべき……
そう思うのは、僕だけでしょうか?
ちなみに僕が見てきた限り、kaikanの日記には読点( 。)の使用率が非常に低いという特徴があります
ここから進化の過程で改行を読点の代替として活用するようになった、とする説もあります(2023,めぐる脳内学会)
読点には文章のリズムを作る役割がありますが、万人が書き手と同じ感覚で読んでくれるとは限りません。
その点、改行の方が伝わりやすいってわけです。
と、今回は改行を多用する理由についてを考察してみました。
さて結論として、改行は多用しても良いものなのでしょうか?
これまでの流れで、改行の多用に意味があることは自明かと思います
紙に印刷される、というただそれだけの都合により改行は不当に弾圧されてきた、歴史の被害者ともいえます
しかしそれはそれとして、名文は媒体を選ばないものです。
大袈裟な改行などいらない簡潔で優れた文章も世の中にはあるもので、活字文化の作家さんにはあまり妙な改行はして欲しくないのもまた僕の本心だったりします。
……読書を趣味とする僕があえて言いましょう
これからの時代、少なくともネット上において
改行をほとんど使わずに文章を書くのは現実的な選択肢ではないでしょう
昔の有名な作家の作品でも正直もっと改行多くていいだろって作品がいくらでもありますし、
僕は改行には文章表現の未来を拓く可能性があると感じています……
「それで結局どの改行が1番おすすめなのよ?」
と、改行したくてうずうずしている皆さまへ
次回、完結編をお楽しみに……
瀬戸口めぐるの写メ日記
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改行概論・本瀬戸口めぐる