子供の頃100円玉さえあれば
なんでも買えそうなとても大きい存在だった
大人になった今100円玉だけあっても
なにも買えないような小さい存在になった
しかしながら
子供の小遣いの中の100円でも
大人の給料の中の100円でも
100円の価値はいつだって100円のまま
子供でも大人でも駄菓子屋さんで
100円玉を出して買える駄菓子の量は同じ
大人になり扱うお金の種類も増えたからか
他の数字と比べてしまい
同じ100円でも大きいや小さいと感じてしまう
人間だって同じように思う
その人はいつだってその人のままなのに
その人と他の誰かを比べては
自分本位な評価を押しつけてしまいがち
いつだって誰かと比べるばかりで
その人の本質を見てあげてなかったりする
僕自身も
僕と誰かを比べられることもあるし
ふとした時に
相手と誰かを比べてしまうことだってある
だから
比べることがダメだなんて
頭ごなしに否定するつもりはないけど
「比較」
という一つの手段だけで
その人の本質を見失うのは寂しい気もする
その「比較」すること自体に
労力を使うのも勿体ないしね
他の誰かと比べて良い人・悪い人
なんじゃなく
自分にとって良い人・悪い人
さらに言えば
自分にとってどんな存在でいてくれるかを
意識して見ていければ
その人の事を
より深く知れるんじゃないのかなぁ
翔太郎
翔太郎の写メ日記
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比較翔太郎