皆様、こんばんは
東京へ戻る機内でこの文書を書いてる九十九です
今回の日記のタイトル
本当に悩みました
もちろん、今回の伯母との
おそらく、最後の会話になるであろう会話をして
そこから、何を日記として残すか
最初は
「余命」
という単語を入れて書こうかと思っていたんです
しかし、書こうとしながら思ったのは
人間誰しも終わりがあるわけで
僕にも余命は、伯母さんよりは長いかもしれないでしょうが、既にあるわけで
そう考えるとなんか違うなぁと
そしたら次に考えたのは
伯母さんの表情だったんです
今、身体の調子が悪い日が多い
そんな中、昨日僕が訪れた際は、偶然にも調子が良かったと
だから心穏やかにはなせるし、そんな日はやりたいこと、やっておきたいことをしていると
痛みで起きとくことさえままならない日が増えてきてるからこそ、体調の良い日が大事だと
多分、幾つになっても、終わりを迎えるのは怖いだろうし、受け入れ難いものだろうし、僕だったらあんな穏やかな顔で
「もう、アンタとも会えんかもしれんかぃねぇ、、、」
とは言えないと思う
でも、残されてる時間がない、その時間の大切さ、人と会える機会の貴重性を理解しているからこそ、昨日の僕との時間中、昔となんら変わりのない、素敵な伯母さんで僕と接してくれました
どうしても、人は
「夏休みの最終日でないと宿題が出来ない」
「失ってからでないと大切なものに気付けない」
などと言いがちですが
(特に僕は)
実際そんなことはなくて
ちゃんと、真剣に、そんな日が来ないわけないってことを、リアルに想像することが出来れば、もっと早くから日々大事に生きることが出来ると思うんです
そして、それは生き死に程のことではなくても
このセラピストとしての活動も同じなわけで
僕は、本心から、生涯セラピストでいようと思っています
(2024年7月16日現在)
しかし、逆に言うと
「ずっと続けるから」
という考えが、怠慢に繋がってやしないか?
今回、伯母との面会からそう思いました
漫画ONEPIECEの名シーンで
「人はいつ死ぬと思う?」
「人に忘れられたときさ」
という場面があります
伯母を憶え続けておく、ということは
伯母の写真を毎日持ち歩くこととかではなく
伯母の最期の生き様から、自分の人生へ活かす
それこそが、本当に伯母を忘れないということだと思います
もっと、一日一日を
更に言えば、皆様とお会い出来る一度の機会を
これまで以上に大切にしていく決意を持って
東京へ戻ります
ありがとうございました
伯母の前では泣かずに済みました
ご機嫌よう
九十九の写メ日記
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日々を【本当に】大切に生きる九十九