親族が亡くなりました。
親とかではないので、
喪主ではありませんが、
急な訃報で数日のうちに、
バタバタと忙しくなりました。
忙しさもありましたが、
日記も更新する気にはなれず、
少しお休みしてました。
葬式自体は豪勢に。
ご時世柄、人はあまり来られないので。
色々とお手伝いして思ったのは、
葬式は故人の為よりも、
遺族の為にあるんだなと。
もちろん最後の別れとして、
式があり供養しお骨を…
なんて流れですが。
葬式もなく故人を偲び出したら、
きっと、まともにお別れなんて出来ません。
葬式の忙しさがある意味、
悲しみを誤魔化してくれたのかと思います。
この後、49日で納骨式までありますが、
まだまだ受け入れてない部分もあります。
故人とはコロナ以降、
会える頻度が減り、
実際一年以上会えず、
死に目にも会えませんでした。
棺桶の顔も何か違う人のようで。
死って、
こう言うことなのか?と、
未だによくわかりません。
宗教は数あれど、
どれもフィクションで、
死んで天国行って来たよーとか言う、
人間なんていませんから。
きっと死について理解する日は、
死ぬその日までわからないんだと思う。
じゃあ故人に対して、
出来ることって何かとなると、
感謝などの、
行動しかないですよね。
でもそれって、、、
生きてるうちに欲しいですよね。
こんなこと書いてると、
今更、後悔が込み上げて来ます。
だから当然、
お墓参りには行くし、
忘れずにいる為の行動をとります。
そして、
今生きてる人たちに対しても、
同じ行動を取ることが、
死に向き合うってことなのかも。
だからまずは、
感謝を伝えることから始めたいと思います。
麗
麗の写メ日記
-
死について、麗