「自分の人生これでいいんだっけ」
不意に訪れる自己認識
やりたくない事をやる事で
窮屈で無難な人生を選ぶ
危うくはないけども
疑ってしまうのは
「自分はもっと幸福になれる」
と思えてるからでしょ?
そんな現状への反抗心がありながら、
結局はいつもの人生に戻っていく。
「ああ、これしかないかもな」と思いながらも、
心が蝕むのなら、それはきっと本当の正解ではないんだよ。
人生に本当の正解なんてものが
あるのかは知らないけど、
不正解はいっぱいあるんだ。
じゃなきゃ、こんなにも心が騒いだりしない。
今が心地よくないなんて、
それって絶対正解じゃない。
僕たちは美味しいものを美味しいと言える。
そんな感覚があるのだがら、
美味しい人生があるのなら、
美味しいと言えてるはずだ。
じゃあ何で今は美味しくない感じがするんだろう。
それはやっぱり美味しくはないんだよ。
苦味があって大人になればビールも
秋刀魚の肝も美味しく感じるって言うのは、
捉え方の問題であって、苦いのは変わらない。
この世のご飯が全部苦かったら嫌だよ。
たまに食べるから、後に美味しいごはんがあるから、今は味わえる。
なのに人生が苦味ばがりならば、
それは素敵な食事ではないよ。
そんな苦味ばかりのコース料理なら、
食べなくていいし帰っていい。
人生だってそうであるべきなのにね。
そしたら「次は美味しいもの食べよ!」って思える。
じゃあ人生は?
来世?無いよそんなもん。
じゃなくて、
もっと今を幸福になれるって思うべきじゃん。
絶対そうだよ。
なんで人生だけ苦味が多めでいいと思ってんの?
そんなもん噛み続けていつか甘い味がする?
気づいたらしょっぱいかもしれないよ。涙でね。
1人じゃ辛いよ、だから人は1人じゃ
生きてけないって言うし、
だから人に会える場所がこの世にはあるんだよ。
家族や友達や行きつけのお店の店員や
俺たちだってきっと、その幸せになる歯車という
システムの一部なんだよ。
その涙を拭って幸せにしてくれるシステム。
それが出会い。そんな歯車の一部であることを誇り思う。
仕合わせって、ああそう言うことねって。
少なくとも今あんま幸せじゃないって思うのなら、
出会いの数を増やすしかない。
変な人もいるだろう、傷つく事もあるかもしれない。
でも人と出会い関係を育む事でしか、
幸せは生まれないよ。
やりたい事をやる人生も幸せだけど、
それを誰とやり、誰が見てくれてるのか、
そんな人を見つけ育み恩を返す人生が幸せかも。
いつもありがとう。
麗
麗の写メ日記
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やりたくない事をやるには、人生は余りにも短すぎる。麗