子どもの頃の「夏休み」ってやつは
光る「何か」が眩しくて
肌も心もひりつく焦燥感もあって
あの言葉にできない「ざわめき」は何なのか?
あの「ときめき」をもう一度感じる旅へ出よう。
夏の旅を、原点に帰って考えますと
古のニッポンの夏にヒントがあるかもしれない。
茹だるような夏の日差し
蝉時雨と草の香り
頬を撫でる夜風
其れらを味わえるのが
夏の京都。
「夏の京都は暑いよねー」
と、大人になるとつい言ってしまい
億劫になりますが
子供の頃にそんな事は考えない。
もしあの「ざわめき」「ときめき」を感じたいのなら
少し無理をして足を伸ばすのも悪くない。
観光客も来ない
もはや観光名所もない
そんなとこでも2人なら
夏の旅に意味をもたらせる。
もし京を味わいたいのなら
朝日と共に都に出ればまだ静か。
古の京都が味わえるかも。
平安京の時代
平安貴族たちは
「ざわめき」や「ときめき」を
和歌にしていた。
〜夢の如 おぼめ枯れゆく 世の中に
いつとはんとか おとづれもせぬ〜
夢の様な夏の旅
太陽の如く光る君へ
麗
麗の写メ日記
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光る夏麗