【エッセイ 比叡山へ向かう道 ①】- 柚香(santuario)- 性感マッサージ

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柚香の写メ日記

  • エッセイ 比叡山へ向かう道 ①
    柚香
    エッセイ 比叡山へ向かう道 ①

    それはとある土曜日の夜のことだった。ふとしたきっかけで観た映画に影響されてか、自然の中で汗を流したいという欲求に駆られた。確かにここ最近、大学の卒業論文の期日が迫っているということもあり室内に留まることが多かった。人工的で無機質な部屋で冷たい椅子に支えられながらキーボードに向かう生活は、自分の性に合っていないとつくづく感じていた。

    その日も普段と変わらない (いや実際には変化があったのだがそれに気づけないほど気持ちも切迫していた) 一日を過ごし、夜、なんとなく自室で映画を見ようと思いソファに腰掛けた。映画の内容は非常に陳腐で、山奥で開発された人型AIロボットが人間を乗り越えるというなんとも擦られすぎた話だったのだが、そこの物質的なラボという空間と、外界の自然のアンビバレンスな対比が僕の心に残ったのだった。人型ロボットはラボから出ることを禁止されていたのだが、彼女は(AIに性別があるのなら)その知的探究心に駆り立てられラボの人間を利用して外の世界へ飛び出したのだ。
    僕は、我々人間が時折、周りに期待されてその期待が制約へと変わり本当の自分の意志による行為ができなくなるということを認めている。それてその状態が続くと本当の自分がしたいこととは一体なんなんだろうかと思うようになる。
    自分の意志に従って湧き出た行為だと錯覚することはあってもそれが真の自発的な行為だとどう言えばいいのだろうか。

    その点で我々はあのロボットと同じである。基本的に彼らは自分自身で物事を思考して行為をすることができず、彼らの行為は周りに求められたものであり、そのシステムは彼が作ったものではない。全てあらかじめプログラムされたものなのだ。
    社会的に言わせれば僕は今、学生である。しかし本当は僕は学生ではないのだ。一歩校舎から足を踏み出すと、僕は自分を超越するようなレッテルを拭い去ることができる。僕は何者でもないのだ。普段はただ学生の役を与えられそれを演じているにすぎない。
    人間は特定の集団に属した瞬間に、他者からの眼差しによってAIのロボットのように他者の目を媒介にして役割を自分に当てがう。そしてその役割に束縛され、その役を演じる。
    では本当の自由とは一体なんだろうか。自分の意志から湧き出る情熱はどこへ向かうのだろうか。
    それは見つけるためには人間から距離をおかなくては行けない。社会的な人間から動物的な人間への移行を通じてしかその回答は得られないと感じた。
    僕はエンドロールが流れるや否や早速、翌朝の出発に向けて荷造りを始めたのだった。

    続く。




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