どうも、santuarioの悠です。
同じ言葉、同じ触れ方、同じ流れ。
それが「使い回し」だとしたら
どんな気持ちになるだろう。
特別だと思っていたひとときが
実は誰かと同じものだったと気づいたとき
心にポツンと寂しさが生まれる。
だけど、その「使い回し」って本当に悪いことなんだろうか?
誰かにとってはルーティンのような行為でも
受け取る側にとっては初めての体験だったりする。
手を繋ぐぬくもりも、そっと囁かれる言葉も
その瞬間の相手にとっては唯一のものなんだ。
たとえ同じように見える振る舞いでも
相手ごとに込められた意味や感情は微妙に違う。
だから、それをただ「使い回し」と
片付けるのは少し乱暴かもしれない。
でも、触れる側の心がそこにないなら話は別だ。
本当にその人を見ていない、ただの流れ作業になってしまったら
受け取る側はどこかでその違和感を感じてしまう。
だからこそ、たとえ似た行為だとしても、
目の前の人に心を向けることが大切なんだと思う。
本当の特別さって、言葉や触れ方の中にあるんじゃない。
その瞬間、自分に向けられた心の在り方に感じるものなんだ。
一見同じように見える行動でも、相手に「自分だけを見てくれている」
と思わせられるなら、それはもう「使い回し」ではなくなる。
そんな心の通い合いがあるひとときって、やっぱり素敵だよね。
では、また(^^)/~