実樹です
調子はどうですか?
(シンプルに人それぞれ)
「好き」とか「楽しい」よりも、もっと切羽詰まった感情が根っこにあってそれが自分を生かすための原動力になってる時がある。
自分でもよく理解しきれてない自分のこと。
人は何かしら拠り所に没入することで「生きてる」って実感する生き物だと思ってる。
少なくとも僕はそう。
ゆえに君の切羽詰まった根っこのことを考える。
見つけてもらえた方が嬉しい場所を考える。
当たり前に未来の話をする人のことを内心冷めた目で見てたりした。
今でも余裕がなくなるとやさしい言葉の裏を考えてしまう。
でもそれじゃダメなんだろうなって、少しずつ気づいてきた。
自分をわかってもらうこと以上に他者をわかろうとすることの方が大切で時間をかけなければいけないことを学んでいる。
もっともっと。
個人で違えど、自分にとって容赦のない環境で生きるってことは、同時に命を守ることだ。
当たり前に命を守り続けている普遍的な日々はそれだけで尊い。
その価値に気づかず取るに足らないつまらないことに縛られるのはよくない。
気づいていかなきゃならない。
もったいない。
僕は退屈が一番怖い。
退化に屈することに怯えがある。
自分の中身を豊かにしながら進化したい。
退屈でなければ、すなわち進化なのではと思ってる。
性快楽による"没入"と"解放"は危険を伴うモノだと思う。
だから僕は気を許せる拠り所でありたい。
力強くて、安心して、オシャレしても、下品にヨダレ垂らしても、人間やめても、全部が許される拠り所。
耳元で言葉を囁いただけで本能から震えるような快感を得て、その場に崩れ込んでしまったとしても「どんなに自分が正常を無くしても、死ぬことは絶対にない」といった安心感を備えたい。
情けないことに僕も求めてしまっている。
この世界に自分が肯定される拠り所を。
切迫した空気感は対面で臨場感を生む。
技術や性魅力よりも臨場感が効くタイミングや人一倍その臨場感が必要な人種が存在する。
ぱっと見では分からない切迫した心持ちに気付き、これでもか!ってほどに抱擁したい。
生きてる上での凡ミスが本当に多い。
だから、少しでもカッコつけたいって思える時間くらいはカッコついた自分でいたい。
切実な心の欲求はコワレモノだ。
やさしく触れなければいけない。
とびきりの存在証明から生もう。
それぞれの幸福論。
たまにはストンとこんな文でした。
明日はふざけるかな
性懲りもなく綴る言葉たちを受け取ってくれて本当にやさしいね。
えらくてまいるぜ。
よくできすぎのできすぎくん
実樹
Twitter→@miki_mantendo
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