第29号「MIKINOKIMI」
2022年の11月8日、昨日から寝た寝た寝た
ヒゲ脱毛で痛みに耐えた後のご褒美のハンバーグライスが睡魔の餌となったようで赤ん坊のごとく生体行動を停止
また季節越えたな〜って感じの寝起きの肌寒さで思い出したのは何となくコロナ禍の孤独や寂しさ、君と出逢う前の感覚でした。
僕はコロナがなかったら、この闇の組織・卍天道に属してません。
そう考えれば決して条件を満たした天職ではなく、続けてしまっていることに笑えない恥じらいがあるのを実感しています。
しかしながら、あらゆる倫理や見解を無視して、君と出会えたことに喜びを感じていることは大きな真実であります。
社会の回転を止めたパンデミックだけど、君まで続く獣道を引いてくれたのかと思うと、運命として受け入れながら下ではなく前を向いて生きることができる。
時効にしてますが、緊急事態宣言下、自宅待機が全国民に命じられていた中、僕は夜な夜な出歩いた。
徒歩圏内のドン・キホーテまで1時間ほどかけて歩き、入り口のウツボに「よ!今日も元気か?」と挨拶を交わす日々。
目的地のはっきりした彷徨いは僕なりの反撃精神というか、反体制の意思だった。
それは決して緊急事態の社会政策に対して反抗的な思いがあったわけではなくて、自分を取り巻く、窮屈で困窮した環境に対して、僕は反抗的だったわけです。
自分の無力さに癇癪を起こしていたんですね。
そして、それは今もなお続いています。
反思想というものは何も政治思想のことを唱えてるのではなくて、たとえば僕の場合だと"サブカルおじさん"が大嫌いなので、彼らという存在に対し、反撃精神をかがけており、このセラピスト活動はその一環でもあるわけです。
チェーンソーマンのアニメが呪術や鬼滅ほどヒットしないのは子供や女性が楽しむ前にサブカルおじさんが垢をつけまくったせいだろうなぁと思うし、『娼年』が小説も映画もマジでつまらないなと感じてしまうのは、サブカルおじさんが行動と認識の順序を踏まねば現代女性のグロテスクさなんて掴めないはずなのに、認識だけに加えて"安直に性欲高まった女性を嗅ぎ分けやすくしてモテたい"なんて卑しい欲求を混ぜてしまって、なので「つまらないし良くない」と偉そうに僕のようなサルセラピストから切り捨て非難されてしまうのはごく自然の流れだと決めつけているわけです。
しかしこんなサルの声は何も効果を生まずに、ただただ社会はサブカルおじさんが偉そうに自分が好きなもの以外を批判して酒を飲み、最終的には外側だけの"仏教"を語り出してさらに偉そうな顔をする設定になったままなのであります。
敵組織は強大です。
そんな忌み嫌うサブカルおじさんに僕は僕自身が近づいてしまっている矛盾が苦しくて苦しくて苦しくて、その運命へ必死に抗うために僕はセラピストなんて無茶な"私祭"を開催しているわけです。
流石に大きな反抗ゆえ、担いだ神輿が重い。
無茶をするための原動力を考えると"優しさ"とか"喜びへの欲求"なんてものは一切効果なく"闘争本能"や"反撃精神"のみが生命維持以外の全ての動力となってくれます。
倫理における社会と逸脱した治外法権的要素の強い女風という"私祭"は僕が闘争と呼ぶものに近しい感情や感覚を、誰しもに芽生えさせる素養があると思う。
学校、職場、成人後の家庭関係、段階を踏んで自分を取り巻く環境は君の中でも闘争本能を育てたはず。
生活が落ち着いてしまえばその闘争本能は眠ってしまい、生きる糧として担っていた部分がすっぽり抜けてしまっている。
きっとそれは君が「足りない、まだ報われていない」と不安に駆られる原因の一つになっている。
熱情の生む痛みがまだ足りていないのです。
味覚は全て痛覚です。
もっと自分の人生を堪能したいはずです。
僕はそのある種みっともない卑猥な欲求を肯定します。
一方で日々、闘争している人間は仲間を求めている。
異性の仲間でしか掬えない君の余裕のない領域がある。
僕はあからさまに戦ってるおにゃのこ(年齢は問わず)に対しては普段蓋をしているやさしさを全開にして、接しようと努めたいわけです。
君のためにこの世界に唾と痰を吐くわけですね。
そして嫌われてボロボロになって朽ち果てて小さな小さな世界樹を生やそうと、前向きな地への還りを望んでいるわけです。
痴の世界にでね。
実樹は世界樹を体現した名前です。
世の男性は君がくだらないと思う対象に反撃精神を取り憑かれてしまうので、同じワッペンをつける信用に値しない。
その点、我々セラピストというのは"女性の性欲を満たさなければ糞である。キレートレモンも買えやしない"といった存在的役割の面で、君も対峙している"性的快楽の枯渇"という問題に対峙していて、尚且つ僕は"サブカルおじさん"や"少年野球オヤジ"と言った、文系、体育会系における卑しき力の象徴を敵視しているのだから、その点だけは信頼できるはずなのである。
手を取り合おうと述べている訳ではないんです。
顔と顔を見合わせて、対峙し、身離れてる間に共通の敵へそれぞれの場所から挑めばいいのである。
僕は君と"共闘"したく、共闘とはそういったものだと思っています。
お客様の側から見たセラピストを選ぶという作業、一度目は非エロティズム的にも成ってしまう"主体性"が前面に出る行為ではあるけど、二度目の予約からは"主体性を伴った追従性"という、エロティズムにおいて最高に近い精神関係になってると思う。
性快楽に対する構造的後押しの効果には大きな恩恵が生まれる。
もちろんその構造的後押しに頼り切っているばかりでは何者にもなれない。
あえて何者にもならない快感や優遇性はあると思うが卑しい僕はどうせ生まれたのであれば、また、転がるようにどうせセラピストになってしまったのであれば、この解放区の中で愚直に正しい解放運動を展開すると言ってふさわしい重要人物になりたいと願っている。
欲を言えば、この世界では、性だけではなく"人間の解放"が実現させるべきだと思う。
解放を終えた人間の瞳には何の不安もなくなっているはず。
不安のない澄んだ瞳はとても美しい。
造形美を超越した美しさが宿ると芸術的観点で考えております。
そしてその"解放"というのは対極主義の中から僕は生まれると考えており、対峙することを面倒くさがり、一瞬の手段的気楽さにかまけて、種として判り得ないはずの論理に共感したフリをして、妬ましく弱った人の心を喰う輩の言葉が嫌いなのであります。
秩序に伴った発言で生まれるのは秩序を守る人間であるといった評価でしかなく、そんな評価人物であればわざわざ君が苦労をして逢いに行く必要が無いのであります。
自己啓発よりも力強くなれる偏った君の自身の創造を信じているのであります。
治外法権の世界に設立された僕の国にせっかく君が来てくれたのであれば、それはそれは笑顔でもてなして、君の生命維持に貢献したいという"生存欲求"と、僕の国にきたのだから出れないようにと独占欲爆発させて何もかもぶっ壊してやるという"破壊衝動"と、相反する二つの臓気に取り憑かれてしまう寸前のところで、教師や親に教えられる前に異性を求めた至極美しい"初期衝動"を必死に思い返して、君という空間を全てで受け止めようと挑むわけです。
自己認識や脳を麻痺させて、国や季節や室温にあとあとあとあとあと気づく空間超越を性快楽を通して実現したいまでです。
自分にとって"他者"とはどんな存在なのか、日々問いてます。
まだまだ答えも見つからないし、全ては関係性が確立してから、発展や逆転することが実感を得られる革命だと信じてるけど、そういう大袈裟な解釈がそもそも必要なのかとか、葛藤ばかりで大変です。
答えがこの私祭の季節に詰まってればいいなと願って、シャワー浴びて、バズっていたので衝動買いしたキールズの化粧水と美容液を、おそらく量を間違えながら塗りたくってます。
量がわからんのよなぁ…。
こっから大事にするぞ!
実樹
@miki_mantendo
実樹の写メ日記
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第29号「MIKINOKIMI?」実樹