たびたび言っているけど、僕は性感やマッサージから、できるだけ小手先のテクニックを排除しようとしている。
個別のテクニックより、もっと大きな原則を掴んだり、質を変えることを追求している。
もちろん、個別の技術を追求するのもアリだと思うし、電マやウー○ナイザーといった機械みたいな動きができる、というのも到達点の1つではある。
ただ、僕はもう1つの仕事で、どちらかというと電マやウー○ナイザーを作る側に近い仕事をしている。
そういう目で見ると、もし僕が電マやウー○ナイザーを作るなら、人間が絶対に真似できない動きを目指すだろうな…と思ってしまうのだ。
そして多分、他の技術者もそうなんだろうと予想してしまう。
だから、電マやウー○ナイザーを目指す、というのは敗北が決定している分野に戦いを挑んでいるように思う。
それなら、電マやウー○ナイザーにできないこと――
人間にしかできない、人間を感じて、つながりあうこと
――を目指した方がずっといいんじゃないかな。