「きのこ・たけのこ論争」と言えば、誰でも一度は聞いたことがあるだろう。
なぜ人間(日本人?)は、「きのこ・たけのこ論争」をしてしまうのか、また、それが好きなのか。
人が集まると、どうでもいいことで議論してしまうことがある。
例えば「自転車置き場の場所や色」。
「誰もがそこまで強いこだわりを持っているわけではないけれど、多少の好みがあり、ついつい口出ししたくなる」というのが原因だ。
だが、この議論が職場や政治の場で起こると、本来話し合うべき重要な問題に割くべき時間がどうでもいいものに使われてしまう。
その一方で、「問題を解決するため」ではなく「会話のための会話」、つまり雑談としてならば、この議論はとてもうまく機能する。
「きのこ・たけのこ論争」や「犬派・猫派論争」が代表例だろう。
ほとんどの人が何かしらの意見を持ち合わせており、真剣な話題でもないからこそ話に参加しやすい。
初めて会った人とも話ができる。
もちろんヒートアップしないためのブレーキはある程度必要。
こういう「どうでもいい議論」も使い方次第なのだろう。