第二次世界大戦中、6,000人のユダヤ人を救った日本人がいたことを知っているでしょうか。この時期、ヨーロッパではヒトラー率いるドイツ軍が勢力を広げていました。ナチスはユダヤ人などのを捕まえ、アウシュビッツなどの強制収容所に送り込んでいたんです。これは、1939年、ドイツがポーランドに侵攻した際のリトアニアで起こっていた話です。
リトアニアには多くのユダヤ人が住んでいましたが、ドイツがポーランドに侵攻したことを受け、リトアニアのユダヤ人は危機感を募らせて海外脱出を試みていました。彼らの生き延びる方法が、アジアに逃げるという方法だったんです。しかしそのためには、そのアジアの国に入るためのビザが必要でした。そこでユダヤ人は、リトアニアの日本国領事館に助けを求めたんです。ここで領事として働いていた人物が、杉原千畝(すぎはらちうね)という人物でした。
杉原氏は日本にユダヤ人にビザを発行する許可を求めますが、ドイツと協定を結んでいた日本政府はドイツとの関係の悪化を恐れ、この願いを退けます。しかし日本国領事館に集まるユダヤ人の数は日々増えていき、杉原氏は悩みました。奥さんと2人の子供を一緒に連れてきていた杉原氏は、家族の安全も考えなければなりません。しかし、奥さんの後押しを受け、杉原氏は独断で、ユダヤ人にビザを発行することを決めたのです。
当時はすべて手書きですから、彼は昼も夜もビザを手書きで書き続けたことで腱鞘炎にも悩まされたと言われています。日本政府からも非難を受けますが、杉原氏は「人として当たり前のことをする」という意思に基づき、領事館を閉鎖し、電車で駅を離れるその瞬間まで、ビザを書き続けました。これによって救われたユダヤ人は、6,000人にも上ると言われています。
日本に戻った杉原氏は、日本政府の命令に背いたとして外務省を解雇されます。しかし外交官としての職を失った後、杉原氏のビザで救われたユダヤ人が杉原氏に会いに来たのでした。ここから、杉原氏の英断が日本国内のみならず世界に広まり、彼の功績が見直されたと言われています。周りの意見に流されず、「人として正しいことをする」という意志を貫いた英断、かっこいいですよね。