【プッチンプリンの歴史:グリコ社員たちの涙の努力】- 北條和馬(宴)- 性感マッサージ

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  • プッチンプリンの歴史:グリコ社員たちの涙の努力
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    プッチンプリンの歴史:グリコ社員たちの涙の努力

    僕はプッチンプリンが好きなんですが、このプッチンプリン、実はその誕生までに数多くの苦労があったそうです。今日はちょっと、その話をしましょう。


     


    高度経済成長期の日本。スーパーの数は増えていましたが、しかし、牛乳やヨーグルトなどは存在したものの、当時はデザートと呼べるものがほとんど売られていなかったそうです。そこでグリコ社員が「何とかデザートをスーパーで売りたい」と考えました。洋菓子店ではプリンの売れ行きが好調だったため、グリコ社員たちはスーパーで売り出すために、プリンの開発を目指そうとします。しかし、前例がないからと、当時のグリコ社長はOKを出さず、計画は暗礁に乗り上げてしまいました。


     


    社長に認めさせるべく、グリコ社員たちが考えたことはまず、自社独自の強みを出すことでした。そこで目を付けたのが、カラメルの位置だったそうです。デザートで出されるプリンでは、一般的にカラメルがプリンの上についていますよね。しかしカップで売られているプリンの場合は、スプーンを1番下まで入れなければ、カラメルまで食べられないんです。そこで、これを克服した商品を作れば、自社独自の強みになると考えられるようになりました。そこで、「上にカラメルが載ったプリンが食べられる」というコンセプトの下、プリンの開発が始まったのです。


     


    次の課題は、プリンをつるんとお皿に出す方法でした。そこで社員たちがその方法を追い求め、カップの下に穴を開けることを考え付いたのです。しかし、わざわざ消費者が容器に穴を開けて食べるなんて面倒ですよね。そこで、それを克服する案として出されたのが、ワンタッチで底に穴を開けられる容器の開発だったのです。


     


    さらに、その容器を作ってくれるメーカーを探すため、社員たちは奔走しました。粘り強い努力の結果、やっと作ってくれるメーカーを見つけたのです。このような社員たちの努力の結果、今のプッチンプリンができあがりました。社長はその出来栄えに驚き、即商品化の指示を出したとか。ちなみに、当時は「プッチンプリン」ではなく「グリコプリン」として発売されたんだそうですよ。


     


    僕たちが当たり前のように購入できる商品の背景には、このような多くの関係者の努力や時間が存在するんです。そう考えると、ありがたい話ですよね。





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