【失敗しても次に繋げたら大丈夫:柿の種は失敗から生まれたものだった】- 北條和馬(宴)- 性感マッサージ

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    失敗しても次に繋げたら大丈夫:柿の種は失敗から生まれたものだった

    柿の種と言えば、誰がも好きなお菓子ですよね。実は、柿の種の歴史は非常に長く、関東大震災が起こった年に初めて作られたものなんです。


     


    当時の新潟県に住んでいた今井氏という人が、奥さんと2人でお菓子作りをしていたんです。最初はうるち米のおせんべいを作っていましたが、徐々にもち米であられを作るようになりました。最初は薄くスライスした餅を重ね、小判型で切り抜くやり方で、あられは手作りされていたんですよ。


     


    しかしそんな中、今井氏の奥さんが小判型を踏んでしまい、型が変形してしまいました。小判型は高価なものだから新しいものを買うこともできず、仕方なく潰れた型を使ってお菓子を作り始めたのですが、その形こそ、何と今の柿の種の形だったのです。


     


    そして、今井氏の取引先が「こんな歪んだ小判型はない、まるで柿の種のようだ」と言ったところから、「柿の種」という名前がつきました。ただ、僕たちが知る柿の種とは形が違うと思う人もいるかもしれません。実は、この由来となった柿は新潟県の名産の甘柿の一種と言われており、その種は本当に、僕たちが知る柿の種のお菓子と同じ形なんです。


     


    こうやって、僕たちの愛する柿の種ができあがりました。もしも今井氏の奥さんが小判型を踏んでしまわなければ、このお菓子は存在しなかったんですよ。そう考えるとおもしろいと思いませんか?失敗しても次に繋げれば大丈夫ということを、教えてくれる気がするんです。





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