「全部わかってほしい」
と思っていた時期がありました
でもどれだけ言葉を尽くしても
伝わらないことはあります
どれだけ想いが強くても
届かないこともある
以前は、それが寂しくて悔しくて
すごくもどかしかった
けれど今は
少しだけ違う感覚があります。
人はわかり合えない存在だからこそ
優しくなれるのかもしれないと
同じ経験をしていなくても
同じ傷を持っていなくても
相手の痛みを「痛そうだ」と
想像できる心があれば
その分だけそっと寄り添う気持ちが生まれる
慈露として向き合うときもそうです
わからない部分をすぐに埋めようとしない
説明されない感情にも、静かに耳をすませる
それが「触れないケア」であり
信頼の土台になることを知っています
この昼の時間
ふと自分のなかの「わからなさ」に
やさしくなってみるのも
きっと悪くないはずです
慈露の写メ日記
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◆Day30-2◆わかり合えないという優しさ慈露