はじめに:あの夜、慈露を打ち砕いた「気持ち悪い」という言葉
慈露は、かつて結婚していました。
私たち夫婦は、いわゆる「セックスレス」でした。
なぜそうなったのか…まずは、その始まりをお話させてください。
あの夜、今でも忘れられない言葉があります。
二人目の子どもが生まれて一年ほど経った頃。育児に追われる日々の中で、慈露は久しぶりに妻の肩にそっと触れました。
そのとき返ってきたのは、想像もしていなかった一言でした。
「気持ち悪い」
その瞬間、性的な欲求だけでなく、夫として、一人の人間としての存在まで否定されたように感じました。
心に深い傷が残り、それ以来、夫婦のあいだに性的な関係は一切なくなりました。
これが、慈露たちのセックスレスの始まりでした。
もちろん、性的な接触を拒む権利は、誰にでもあります。
相手の気持ちを尊重することは、関係を築く上でとても大切なことです。
でも、どうしてあそこまで冷たく突き放さなければならなかったのか。
なぜ、もう少し別の伝え方はできなかったのか。
慈露は、この経験から強く感じました。
セックスレスの背景には、単なる欲求不一致ではなく、夫婦間の対話の欠如や、お互いへの敬意、そして社会に根付いた「性への偏見」が深く影響しているということを。
この日記では、慈露自身の経験を入口に、セックスレスの本当の原因や、多様なアプローチ、そして「外に求めること」の是非について、率直に綴っていきたいと思います。
最終的には、「性」にまつわる選択肢がもっと自由で、多様で、正直であれるように。
そんな世界を、共に願えたら嬉しく思います。
1. セックスレス、なぜ起きる?見過ごされがちな本当の原因
セックスレスは、「性欲がない」「飽きた」などの表面的な理由だけで語れるものではありません。
慈露自身の体験を通しても、それはもっと複雑で、繊細な要因が絡み合った結果だと実感しています。
・心と体の変化:
出産、育児、仕事、体調、ストレス、加齢。
ホルモンバランスや体調の変化によって、性欲や感受性は大きく変わります。
それを「努力不足」や「気持ちの問題」と片付けてしまうのは、とても乱暴なことです。
・夫婦関係の変化:
- 家族化
恋人だった二人が「夫婦」になり、やがて「親」になる。
その中で、相手「異性」としてではなく「家族」としてしか見られなくなることがあります。 - コミュニケーション不足
日々の忙しさの中で、感謝や愛情を伝える時間が減り、心の距離も少しずつ遠のいていく。
性の話題は特にデリケートなだけに、触れられないまま時間が過ぎていくことも多いものです。 - 役割と負担の偏り
育児や家事、仕事の負担が一方に偏ることで、心身に余裕がなくなり、性に向き合う余力がなくなってしまうこともあります。
・性に対する価値観のズレ:
性欲の強さや頻度、性的嗜好、興奮のスイッチなど、性の好みは人それぞれ違います。
その「違い」を話し合えず、理解しようとしないままでいると、やがて拒絶や無関心が関係に影を落とします。
・社会的背景:
日本では、「性」を語ること自体が今なおタブー視されがちです。
夫婦間であっても、性についてオープンに話す文化が根づいていない。
それが、誤解や孤独感、そしてセックスレスの温床になることもあります。
2. 解決策はひとつじゃない。セックスレスへの向き合い方
セックスレスだからといって、必ずしも関係が終わるわけではありません。
大切なのは、「どうしたいか」をお互いが素直に話し合える関係をつくることです。
・性について話す勇気:
恥ずかしい、気まずい、怖い。 それでも、相手ときちんと向き合いたいなら、性の話を避けて通ることはできません。
非難せず、ジャッジせず、「理解したい」という姿勢で聞き合う。 まずはそこから、関係の修復が始まることもあります。
・スキンシップの再構築:
手をつなぐ、ハグをする、キスをする。 そうした「性ではない触れ合い」が、もう一度心と身体の距離を縮めるきっかけになることもあります。
一緒に笑う、一緒にごはんを食べる…そんな時間も、実はとても大切です。
・新しい刺激や学びを取り入れる:
性に対する感覚は、年齢や経験とともに変わっていくものです。
新しい体位を試してみる、アダルトグッズを使ってみる、性に関する書籍を一緒に読む…遊び心や好奇心を持って向き合えば、また違う扉が開くかもしれません。
・専門家のサポートを受ける:
夫婦だけではどうにもならないと感じたとき、カウンセラーや性の専門家に相談するのも選択肢です。
医学的な要因がある場合は、泌尿器科や婦人科の受診も視野に入れてみてください。
3. 誰にも言えない「外」の選択肢と、それでも守りたいもの
「外部に性を求める」という行為は、いつもネガティブなイメージと結びつけられがちです。
「不倫」「浮気」、あるいは「風俗通い」。
そういった言葉の多くは、「裏切り」や「倫理違反」として語られます。
慈露自身も、かつて外に安らぎを求めたことで、パートナーから存在そのものを否定されるような言葉を浴びた経験があります。
では、それでもなぜ、人は「外」に向かってしまうのか?
浮気心や刺激が欲しいからという理由だけではありません。
話すことすらできなかった、向き合おうとしたときに拒絶された、 それでも性の衝動や寂しさは、どうしようもなく押し寄せてくる。
本来、性を外部に委ねるなら、パートナーとの「同意」が必要であることは、慈露も理解しています。
でも、現実にはその「同意」を得ることすら叶わない関係も存在するのです。
性の話を切り出すこともできず、家庭内では長年の沈黙だけが続く。
そんな中で、こっそりと外に性の安らぎを求めるという行為は、 本当に「裏切り」なのでしょうか?
慈露は、それを一概に「悪」とは言えないと感じています。
むしろそれは、自分の心と身体を壊さないための、静かな抵抗であり、 パートナーをこれ以上傷つけないための、苦しいほど誠実な選択肢でもあるのです。
特に、女風セラピストとして働く中で感じるのは、
「もう性の話をパートナーとはできない」
「でも誰かに触れてほしい」
そう願う女性たちがたくさんいるという現実です。
慈露は、そんな声に触れるたびに思います。
風俗を利用することは、決して「悪」ではありません。
誰かを傷つけず、自分の心と身体を守るための手段として、それを選ぶことは「あり」なのだと。
もちろん、性感染症の予防や、相手への敬意は必要です。
けれど、「内緒にせざるを得なかった人の心」まで否定しないでほしい。
誰にも言えないその選択に、誠実な想いがあったことを、慈露は知っているのです。
4. 性を正直に語れる社会へ。あなたの幸せは、あなたが決めていい
夫婦のかたち、性の向き合い方、関係の築き方。
それらはすべて、「あなたと、あなたが選んだ相手」によって自由に決めていいことです。
誰かの価値観や、世間の常識に無理に合わせる必要はありません。
慈露は、性が人を救う瞬間も、壊す瞬間も、どちらも見てきました。 だからこそ願います。
まずは、あなた自身が「どう在りたいか」と向き合うこと。
そして、その想いを大切にしてくれる誰かと、正直に対話していくこと。
もしそれが難しいなら、無理をしなくてもいい。
こっそりでもいい。
その一歩が、あなたを壊さないための選択肢になるのなら。
性風俗や水商売を「汚いもの」「悪」と決めつける時代は、もう終わりにしませんか?
そこに真摯な想いと、誰も傷つけないやさしさがあるならば、 それは堂々と尊重されるべき、ひとつの関係のかたちです。
あなたの幸せは、あなたと、その心に触れる誰かだけが決めていい。
その自由を、慈露はこれからも応援し続けます。
露花の"慈露"より