性感を深めるには
"身体を感じやすくする"
ことが大切です
でも…
それだけでは決して
「未知の快楽の領域」
には届かないと"慈露"は思うのです
たとえば…
身体は反応しているのに
どこか他人事のように感じるとき
あるいは…
心は委ねたつもりでも
身体が固くて入っていけないとき
そんな「ズレ」は快感の質を浅くし
どこか虚しさを残してしまうことがある
と"慈露"は考えています
性感というのは
"開発"というより
"育成"に近いものだと思っています
そしてそれには
心と身体のバランスが
とれていることが何より大切です
心がまだ準備できていないのに
身体だけが刺激されすぎると
快感は"麻痺"や"不安"に変わってしまう
逆に身体がまだ閉じているのに
心ばかりが焦って進もうとすると
違和感や羞恥が強くなって
感覚そのものが遠のいてしまうのです
だから慈露は施術のなかで常に
「心が今どこにいるか」
「身体が何を求めているか」
を丁寧に見ています
たとえ快感の反応があっても
心が追いついていないと感じたら
あえて深追いしないこともある
逆に心がほどけたタイミングには
身体が安心して開けるように
呼吸や触れ方を繊細に整える
"深い快楽"は心と身体が
「今ここで響きあっている」
と感じたときにしか訪れません
それはまるで波紋がぴたりと
重なったような静かで強い快感です
未知の快楽に触れるというのは
ただ刺激を強くすることではなく
"心と身体が一緒に進めるリズム"
を育てていくこと
慈露はそのリズムを
いっしょに丁寧に探して
いきたいと思っています!
露花の"慈露"より