触れる前から感じさせることができる…
これは"脳イキ"といった派手な表現ではなく
それが慈露の「視線」という技術です
性感というと、まず「手」や「口」での刺激を
思い浮かべる方が多いかもしれません
でも実は快感のスイッチは
"見られる"ことでも静かに入ります。
これは医学的にも知られていて
「視覚刺激」が脳内の
扁桃体(amygdala)を活性化させ
・性的興奮
・羞恥心
・恐怖
・快感
などといった情動と深く結びつくことが
脳画像研究などでも報告されています
つまり「見られている」と意識するだけで
脳の"快感中枢"は反応を始めるのです
慈露はこの"視覚性感"を
あなたの心と身体の状態に応じて
慎重にそして大胆に使います
たとえば…
うつ伏せに横たわるあなたのそばに
そっと腰を掛け
しばらく何もせずただ見つめる
目が合わないのに
確かに視線を感じるその静けさに
背中がわずかに揺れ
呼吸が変わり始める…
まだ一切触れてもいないのに
肌が、そしてあなたの奥にある感覚が
応えてくれるのです
これは決して特別なことではありません
"背中"というのは
感覚が乏しいように思われがちですが
実は「触れられる」ことへの予兆には
"とても敏感な部位"なんです
特に"肩甲骨から腰にかけてのライン"には
緊張を解いたり呼吸を深めたりするための
"感覚神経"や"姿勢維持筋"が多く存在し
そこに「視線という気配」が漂うだけでも
身体がほんのりと"受け入れモード"へ
移行することがあります
このときの慈露のまなざしは
「観察」ではありません(観察もゼロではないw)
それは"あなたの今"を慈しむ視線です
羞恥と快感はほんの紙一重
"性的興奮"と"羞恥心"は
どちらも扁桃体を経由する"情動反応"であり
その境目を慈露は
視線の温度と間合いで静かに調整していきます
ときにそれは、支配のように
ときにそれは、赦しのように
あなたが
「自分の身体に自信がない」
「見られるのが恥ずかしい」
そう感じること、あると思うんです
でも慈露の視線は責めでも評価でもなく
"あなたの反応を一緒に愛でたい"
という想いなんだと感じてくれたら幸いです
毎回言ってるかもしれませんが
「気持ちさは育てるもの」
触れるだけではなく
"見つめる”というふれ方
もまた快感の入り口
慈露のまなざしと手
そして言葉は
あなたの奥に眠る感覚を
ゆっくりとやさしく呼び起こしていきます
露花の"慈露"より