朝がくると世界が急に音を取り戻します。
目覚ましの音、人の気配、街の動き。
でも…
その"音の手前"に、まだ昨日の余韻が残っていることがある。
たとえば、肌に触れた指の感覚。
たとえば、名前を呼ばれたときの声の響き。
そんな静けさの中に漂うものが、
本当に心に触れていた証なのかもしれません。
余韻って、何かを終えた証じゃなくて、
"なにかが確かに始まった印"でもあるんです。
今日も、誰かと何かがはじまるかもしれない朝。
その静けさの中に、
あなたと過ごした"あの時間"が、そっと染みています。
露花の“慈露”より