振り返った時に、あの頃は腑に
落ちなかった言葉が、ふと心に
すとんと入ってくる——
そんな経験、ありませんか?
あの時、熱っぽく語られていた言葉たち。
『なるほどね。』
『イイこと言うじゃない。』
『確かにその通りだよね…』
そんなふうに、どこか一歩
引いた目で受け取っていて...
内心では、
『いやいや、そんなうまくいかない』
なんて、疑いのフィルターを通して見て
いた自分もいたり...
所詮は他人事。
どこかで『自分とは違う世界の話』と、
切り離していたのかもしれない。
言葉の意味はわかっても、
“自分の人生”には当てはまらないと、
どこか決めつけていた。
...って過去があって、
今だから"肚落ち”する事。
本当の意味で共感する事。
それが今とても楽しくて。
たとえば
ある時、たまたま流れてきた
一本の動画に、ふと目が止まった。
それは、俳優・Kさんが
“腸で感じる直感”について語って
いた講演だった。
『そうそう!その通り!』
『え?Kさんも、自分と同じよう
に感じてたんや!?』
共感が連鎖して、心のどこかが
静かに震えたり。
言葉の温度が、画面越しでも
伝わってきて。
そうか。
本気の声って、理屈じゃなく“腸”
で感じるものなんだ。
あれは、“誰かに向けた言葉”
じゃなかった。
誰かの奥にいる“ほんとうの自分”
に向けて、そっと届けられていた言葉
だったんだ。
そしてふと...
誰かに言われて、
『やらなきゃ』『頑張らなきゃ』って、
無理やりやることとか、
自分の本心じゃないのに、流され
るまま向けちゃうエネルギーとか…
そういうの、もうやめて
いいんじゃないかって。
“これだ”って、心の奥で小さくでも
感じられるもの。それを、今この瞬間
に一生懸命楽しんでみること。
うまくいくかなんて、
まだわからなくても関係ないし、
色んなこと含めて、やってて
楽しいからやるし。
それとは対極に
これをやったら、こうなるから、
この人を顔を立てなきゃ...
その為に、こうして、ああして...
とか、
やりたくないけど、『人脈は大事だから』
と異業種交流会に出まくったり、
好きでもないゴルフに通い続けたり…。
そういうのって、確かに社会的には
大切かもしれないし、ある程度の経済力
や地位、名声も手に入るかもしれません。
でも、それで “幸せ”かどうかは——
また、別の話ですよね。
少なくとも、僕の場合は、
そうじゃなかった。
それよりも、
心地よく感じられる"あの感じ”
インスピレーションってヤツですか?
それを大事にする方が大切で。
時間がかかっても、周りから見たら
遠回りに見えても、全然関係ないです
から。
ちゃんと、幸せにたどり着けるから。
そしてきっと、いつか思えるんです。
『あぁ、あのときやってて良かったな』
って。
そして、もしかしたら——
たぶん、あの時の“わからなかった言葉”
は、今のあなたのために、そっと置かれ
ていたのかもしれません。
今という、この瞬間に。
ようやく、届くべき場所に、静かに
届いたんだと思います。
そう思えたなら——きっともう、
大丈夫。
なんてね...。
露花 仁(じん)
仁の写メ日記
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届かなかった言葉が、訪れる日仁