無知って、怖い。
人を傷つけている自覚がないから、
知らず知らずのうちに、
誰かを深く傷つけてしまう。
でも——
もっと怖いのは、“自覚があり
ながら、平気で人を傷つける人”。
もし、年齢を重ねた大人が、
そんなふるまいをしていたとしたら——
近づかない方がいい。
それは、自分を守るための
大切な選択です。
守ることは決して『逃げ』では
ありません。
“こてんぱんにやり返す”ことも、
できないわけじゃない。
でも——
そんな人に、
自分の身体と心を犠牲にしてまで
時間や労力を注ぐことが、
本当に意味のあることなのか?
一度、立ち止まって、
考えてみてほしいんです。
不条理な現実に対する“許せない
気持ち”を晴らすためだけに、自分の
大切なエネルギーを費やしてしまって
いいのだろうか——と。
でもね、
そうは言っても...
頭では理解していても、
ふつふつと込み上げてくる
“悔しさ”や“やるせなさ”。
誰にもぶつけられないまま、
心の奥にしまい込むしかない感情。
……凄く、よくわかります。
僕もかつて、何度も経験しました。
年齢が若いというだけで、
無礼な態度をとられたり、
足元を見られて見下されたり。
わからないことを正直に聞いただけで、
“無知なお前が悪い”と責められたり。
同僚や部下の前で、“吊し上げ”や“
見せしめ”のように怒号で人格を否定され
たこともありました。
悶々として眠れない夜が続いたり、
『もう、いっそ……』と、
ギリギリのところで踏みとどまる
毎日だったことも。
あんな気持ち、二度と思い出したく
はない。それでも、あの経験があった
からこそ、今、少しだけわかるような
気がするんです。
そういった態度や言葉の奥には、
その人自身の“心の声”がにじみ出
ているということ。
それは、
自信のなさ。
他人を支配したいという欲。
“弱い者を叩くこと”でしか
自分を保てない幼さ。
寂しさや虚しさを、認めたくない
気持ち——かもしれません。
だからもし、あなたが理不尽な
態度にさらされたことがあるのなら。
どうか覚えておいてください。
それは、あなたのせいじゃない。
あなたは、間違っていない。
どんなに強い言葉をぶつけられても、
その本質があなたを否定するものでなけ
れば、それは相手の“目的”が、
すでに『攻撃すること』へとすり替わっ
てしまっている証拠です。
必要以上に、自分を責めないでください。
そんな人には、何を言っても届かない。
“馬の耳に念仏”——そう思って、
静かに、そっと距離を置いていいんです。
そして、
もしあなたが、同じように傷つけられた
誰かと出会ったら、その痛みを知っている
あなただからこそ....
守れる優しさが、きっとある。
傷ついた経験を、誰かを傷つける言葉に
変えるのではなく、誰かを癒す温もりに
変えていける。
——そんな生き方を、僕は信じています。
露花 仁(じん)
仁の写メ日記
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あの日の悔しさも、 誰かを守れる“優しさ”に変わっていく。仁