『リトル・ミス・サンシャイン』
不器用な家族が、娘のミスコン出場を目指してオンボロなバンで旅する話。
最初は「何これ…シュールすぎるだろ」って笑ってたのに、気づいたら泣いてた。
どのキャラも何かしら“生きづらさ”を抱えてるんだよ。夢を諦めきれない父、自分の殻に閉じこもる兄、人生を悲観してる叔父。全員バラバラで、全然“普通”じゃない。
でも、そのバラバラなまま、ひとつの目標に向かっていくうちに、どんどん“それでいいんだよ”って空気が生まれていく。
俺自身もどこかで「ちゃんとしなきゃ」とか「もっとスマートに生きなきゃ」って思ってたけど、
この映画に出てくる人たちみたいに、どこか抜けてて、不器用で、変なこだわりがあっても、
それが“らしさ”だし、愛おしい部分なんだって教えられた気がする。
俺の変なこだわり?
電車の中で座るとき、絶対に左端がいい。
スマホの通知は全部オフ。
洗濯物はタオルから干したい。
全部どうでもいいことだけど、やらないと落ち着かない。
たぶん“自分を保つための儀式”に近い。
この映画のラストで、家族みんなでステージに上がっちゃうシーン、最高にグッとくるんだよ。
「誰かにとってダメでも、自分たちにとっての最高なら、それでいい」って叫んでるみたいで。
人に合わせるより、自分の“変”を愛せる人でいたい。
そして誰かの“変”も、ちゃんと抱きしめられる人でありたい。
そんなふうに思える映画。
けんごの写メ日記
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『リトル・ミス・サンシャイン』けんご