──最後の予約は、静かに燃える強さを持った彼女からだった。
「今日が最後です」
そんな言葉があったわけじゃない。
だけど、僕はなんとなく察していた。
そして、彼女も、僕の日記の中の“ある一文”に何かを感じ取って、急遽予約を入れてくれたのだと思う。
「“自分を壊したかった”って言葉に、すごく共感したんです」
最後にそう言ってくれた彼女の目は、まっすぐで、どこか清々しさをたたえていた。
──あの一文。
誰に届くかわからないまま書いた言葉だったけど、
あれを通じて彼女の中の過去と、今とが、ひとつにつながったなら、それだけで意味があった気がする。
彼女とは数年前に出会った。
当時からどこか落ち着いた雰囲気があって、ガツガツしてるわけじゃないのに、心と身体の芯に「強さ」みたいなものを感じていた。
僕がジム通いしているのを見て、彼女もジムに通い始めたんだそうだ。
ただ通うだけじゃない。
インスタでトレーニング動画を探して、自分なりに研究して、誰に教わるでもなく身体の使い方を試行錯誤していたらしい。
僕が何も言わなくても、勝手に進んでいく。
その自主性と探究心、そして“身体感覚への共鳴”は、施術を通してもすごく伝わってきて、セラピストとして本当に刺激をもらえる相手だった。
一度、仕事が大きく変わった時期もあったと聞いている。
環境が変われば、生活リズムも、ストレスも、全部が変わる。
でも、彼女はそのことを一度も「しんどい」とは口にしなかった。
もしかしたら、しんどさを感じるたびに、それを筋トレの燃料に変換していたのかもしれない。
重いものを持ち上げるたびに、何かを手放して、何かを取り戻していたのかもしれない。
「今日で最後にします」
彼女からそんな宣言はなかった。
だけど、施術が終わるころには、僕の中でハッキリと分かっていた。
この人はもう、自分の足で歩いていける人になっている。
最後の時間は、いつも通りだった。
特別な演出なんて何もなかった。
でも、その“いつも通り”が、とても尊く感じた。
別れ際、彼女がふとつぶやいた。
「どんな別れでも、ご縁があればまたひょんなところで会えると思ってて」
その言葉に、僕は深くうなずいた。
僕自身もそう信じているから。
「終わる」ということは「すべてを切る」ことじゃなくて、
必要な形に姿を変えて、またいつか交差する準備なのかもしれない。
たくさんの「別れ」を見てきたという彼女が、あんなふうに爽やかにこの時間を終えてくれたこと。
きっとそれは、彼女が過去に何度も痛みや喪失を経験して、それを乗り越えてきた人だからなんだと思う。
僕は泣かなかった。
(泣いたら負けだと思ったし、本人も「泣かせたかったのに〜」って笑ってたしね笑)
でも、心の中では、拍手を贈ってた。
彼女がこの数年間でどれだけのものを乗り越え、築き上げてきたか。
それをずっと、近くで見せてもらえたことが、何よりの宝物だったから。
別れは、寂しい。
でも、どこか誇らしくもある。
こんなふうに、自分の意思で終わりを選んで、ちゃんと歩き出す人がいることが、
僕にとっても「やってきてよかった」と思わせてくれる。
ありがとう。
そして、本当におつかれさま。
ご縁があれば、きっとまた。
ひょんなところで。
MUSASHI
MUSASHIの写メ日記
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【また、どこかで。】MUSASHI