昨日、蒼武蔵の活動を辞めるという内容の日記を書いたところ、思った以上にたくさんの反響をいただきました。
男性も女性も、それぞれの立場からあたたかいメッセージや、驚きや寂しさ、時には怒りのような感情まで…いろんな気持ちを届けてくださって、本当にありがとうございました。
そうやって、自分の言葉や行動が誰かの心に何かを残せていたんだなと感じられることは、やっぱり嬉しいものです。
私も人間なので、気持ちを見せてくださる方にはちゃんと応えたいと思うし、「この人にはちゃんと届いていたんだな」と感じると、素直に嬉しくなる。
でも一方で、正直少し戸惑ってしまうようなご連絡もありました。
たとえば、ずっと見てくれてはいたんだろうけど、一度もアクションを起こさずにいた方が、「辞める」と発信した途端に急に連絡をくれたり、今まで無かったようなお願いをしてきたり。
もちろん、タイミング的に“今じゃないと動けなかった”という方もいるでしょう。それは分かります。
でも中には、「どうして今になって…?」と感じるような、急ごしらえの提案や、こちらに何のメリットも無いような申し出をされることもあって…。
言い方は難しいけれど、これまで私の活動や時間を“当たり前”に感じていた方が、「無くなる」と知った瞬間に慌ててしまっているように見えるとき、少し複雑な気持ちになります。
人間って、当たり前にあるものの価値にはなかなか気づけないものですよね。
だから、いざ「終わり」が見えると、急にその存在の大きさに気づく。
それは自然な感情だと思うし、私も何度も経験してきました。
でも、その感情をぶつける相手もまた“生身の人間”であるということを、少しだけ想像してほしい。
無理なお願いや、こちらの状況や気持ちを一切考慮しない申し出に対しては、どうしても心を動かすことができません。
これまで積み重ねてきた関係性や、そこにあった敬意や温度感──そういうものがあってこそ、人と人とのあいだには「通じ合う瞬間」が生まれると思うんです。
もちろん、思いを伝えてくださったこと自体はありがたいし、それを読んで涙が出そうになることもあります。
でも、どんなに美しい言葉でも、それが“都合のいいタイミング”で放たれたものであれば、やっぱりそれなりの重みしか持ちません。
だからこそ、私はこれまで出会ってきた人たちとの時間や関係性を、すごく大事にしています。
思い出すたびに心があたたかくなるようなやりとり、最後まで真っ直ぐ向き合ってくれた人たち。
そういう方々には、これからも感謝を込めて、できる限りの応え方をしていきたいと思っています。
逆に言えば、それまで何もなかった人が突然「最後に会わせて」「一度でいいから」なんて言ってきても、やっぱり私としては難しい。
気持ちはありがたいし、責めるつもりもないけれど、それは“気持ちの通じる相手”としてはちょっと違うかな…と思ってしまう。
こうして文章にするのは少し勇気がいりましたが、変に誤解されたくなかったので、あえて書きました。
武蔵という人間は、誰にでも優しくできるほど器用ではありません。
でも、一度心を通わせた相手のことは、たとえ時間が経ってもちゃんと覚えています。
それくらい真剣にやってきたし、だからこそ、最後までブレずにいたいと思っています。
ここまで読んでくれて、ありがとう。
MUSASHI
MUSASHIの写メ日記
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【タイミングって、すごく大事だと思う】MUSASHI