風呂上がり、なんとなく鏡に映った自分の背中を見ていたら──
左の肩甲骨が、ちょっと変な位置にあることに気づいた。
下の方の尖った部分が、ボコッと浮き出るように前に倒れていて、
どう見ても右とは形が違う。
その瞬間、「あ、だからか」と妙に納得した。
肩の種目をやっても、背中の種目をやっても、
どうにも効いてこない感覚があった。
狙った場所に入ってる気がしなくて、
“なんとなく”で終わっていたトレーニング。
あれは、フォームのせいでも集中力のせいでもなく、
そもそも骨格がズレていたからかもしれない。
たぶん原因は、横向き寝のクセだ。
左肩を下にして、スマホをいじりながら寝落ちした日が何百日もある。
それによって肩甲骨が開いたまま前に倒れて、
ずっと不自然な位置で固まっていたんだと思う。
でも、それに気づけたのは、ある意味ラッキーだった。
「なんか違う」と感じる感覚は、すでにあった。
でもそれを無視せず、ちゃんと向き合えたのは、
ここ最近、“身体の声”に対して敏感になっている自分がいるからだと思う。
実は最近、心の方でも小さな変化が起きている。
たとえば、こうして誰かと話すこと。
気になってることを言葉にしていくと、
頭の中のもやが晴れていく。
それと同時に、身体の奥の方──たとえば体幹の深部の収縮とか、
以前は感じられなかった感覚が、ちゃんと“聴こえてくる”ようになってきた。
面白いよね。
心が整うと、身体の感覚も戻ってくる。
“気づく力”って、単に観察力じゃなくて、
心が自由であるかどうかにも左右されてるのかもしれない。
今回の肩甲骨の歪みだって、
ただ見た目の話じゃなくて、
「使い方のクセ」「左右差」「疲労の蓄積」…
いろんなものが複雑に絡み合ってできた結果だと思う。
そしてそれは、生き方の歪みにも似てる気がした。
日々の中で、「まあこれでいいか」とか
「こっちの方がラクだし」とか。
小さなズレを放置したまま何年も過ごしてると、
ある日、それが“明らかな違和感”になって浮かび上がってくる。
でも、それに気づいたときがチャンスなんだ。
いまの自分は、たぶん過去のどの自分よりも繊細に“ズレ”を感じ取れる。
そして、それを修正できるだけの引き出しも、経験もある。
それが、今の自分の強みなんだと思う。
歳を重ねると、柔軟性は落ちるかもしれない。
でも、感度は上げられる。
むしろ、丁寧に向き合う習慣がある今だからこそ、
“進化できる身体”になっている気がする。
だからこの違和感も、きっとギフトなんだろう。
左の肩甲骨のボコッとした出っ張りは、
「そろそろ自分の背中とちゃんと向き合って」と教えてくれてる気がする。
放置しない。
誤魔化さない。
気づいた瞬間から、また自分を取り戻していく。
今日も、そんな静かな1日。
MUSASHI
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【左の肩甲骨が教えてくれたこと】MUSASHI