SNSを見ていると、年配の人たちへの風当たりの強さに驚くことがある。
雑で、時代にそぐわないことをしてしまっている──確かにそう感じる場面もある。でもそれに乗っかって、面白半分でバカにしたり、晒したり、集団で叩いたりする流れには、どこか違和感がある。
たとえばレジで戸惑っている高齢者、改札でICカードの使い方がわからず立ち止まる人、スマホの操作で四苦八苦している姿。そういう光景にイライラする人もいるだろう。でも、自分だっていつかは通る道だ。年を重ねるとは、そういうことだ。
今の若い世代が無条件に優れているわけじゃないし、年配者がすべて正しいわけでもない。ただ、これまでの時代を生き抜いてきた人たちの“歩み”には、それだけで敬意を払う価値があると思う。
古くからある「年上を敬う」という価値観には、力関係ではない、人としての美しさがあったはずだ。
もちろん、年配者の言動すべてを美化するつもりはない。ときには頑固で、理不尽で、時代錯誤な発言をする人もいる。そういう現実を無視してまで擁護することは、逆にその人たちを甘やかしてしまうだけかもしれない。
でも、その“頑なさ”や“不器用さ”の裏には、もしかしたら長年の孤独や、居場所のなさ、時代に取り残された痛みがあるのかもしれない。
そう考える余裕が、私たちにはあるだろうか。
手を差し伸べるというのは、何か特別なことをすることじゃない。
「ちょっと遅れてるな」と思っても、その人を急かさないこと。
「何やってんの」と心の中で呟く前に、「大丈夫ですか」と一言かけること。
たったそれだけで、誰かの尊厳を守ることができるかもしれない。
女風の仕事をしていると、「利用したあとは家族に優しくなれる」という声をよく聞く。
人は、誰かに優しくされることで、ようやく他人にも優しくできるようになる。
だからもし、最近「人に優しくできない」と感じている人がいたとしたら──
それは、他人のせいではなく、ご自身の中に理由があるのかもしれない。
もしかしたら、頑張りすぎていて、余裕がないだけかもしれない。
社会の空気が強い方向に流れているときこそ、あえて逆の目線を持つことは大事だと思う。
みんなが見下す時代だからこそ、私は“あえて敬う”ということを選びたい。
それは、自分の品格を守ることでもあり、未来の自分を大切にすることでもあるから。
年を重ねていくということは、恥をかくことが増えていくということでもある。
思うように身体が動かなくなったり、理解のスピードが遅くなったり、若い世代の常識についていけなくなったり…。
そのとき、自分がどう扱われたいか──それを考えたら、今、目の前の「ちょっと不器用な年配者」にどんなまなざしを向けるべきかは、自然と見えてくる気がする。
SNSでは、優しさはあまりバズらないかもしれない。
でも、私はそれでも、そっちの姿勢を大事にしたいと思う。
MUSASHI
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