昨日、なんとなくYouTubeを開いたら、
小学生の女の子がX JAPANの「紅」を叩いている動画が出てきた。
普段は演奏系の動画なんてほとんど観ないのに、
その日はなぜか、ふと惹かれて再生してた。
彼女のドラムはとても上手だった。
でもそれ以上に、音の奥にある“必死さ”に胸を打たれた。
気づいたら泣いていた。
動画は7歳から12歳までの記録。
最初はカメラに向かって無邪気に笑っていた子が、
年々、音に深さが出て、顔つきも変わっていく。
ドラムの音には、その時その時の“心の温度”が乗っていた。
楽器って、本当に難しい。
練習しても練習しても、思った通りに鳴らせない。
身体が思うように動かない。
出したい音が出ない。
だからこそ、彼女がそこにたどり着くまでにどれだけの日々があったのか、
想像してまた胸がいっぱいになった。
そして、ちょっと心配にもなった。
こんなふうに注目されて、
同級生に何か言われたりしてないかな。
「また動画出てたね」とか、
「親にやらされてるんでしょ」とか。
子どもって残酷だから、
無邪気なふりをして平気で深く刺さる言葉を投げる。
彼女が、そういうのを全部受け止めながら
それでもドラムを叩き続けてきたとしたら──
それだけでもう泣けてくる。
自宅のスタジオらしき部屋、
固定カメラが3〜4台。
たぶん郊外の一軒家で、
親が環境を整えて応援してるんだろうなと伝わってきた。
その風景を見ていたら、自然と自分の過去が重なってきた。
俺も親の離婚で、小学校を3つ、中学校を2つ通った。
転校先で、どうやって馴染むかばかりを考えてた。
15〜20歳まで、バンドをやっていた。
ギターを弾いていたけど、
上手くなりたいというより、
音を鳴らすことでしか自分を保てなかった。
兄らしき人がギターを弾いてる動画もあったけど、
なぜかそっちはあまり惹かれなかった。
妹のほうが、まだ不安定で、
その揺れが音に乗っていて、目が離せなかった。
観ているうちに、
今は海外に住んでる妹のことも思い出した。
夢中で何かに取り組んでいたあの頃の、
あの子の顔がふと浮かんだ。
この子も、いつかドラムをやめてしまうかもしれない。
それでも、あの動画に刻まれていた“今”は、確かに本物だった。
──そして、なぜこんなに泣けたのか。
あとからわかった。
それはたぶん、
彼女が俺のやりたかったことを、代わりに叶えてくれていたから。
もっと続けたかった。
もっと鳴らしたかった。
でもやめてしまった音を、彼女が鳴らしてくれているようで、
それが嬉しかったんだと思う。
共鳴なんて言葉じゃ足りない。
後悔とか、憧れとか、置いてきたもの全部が、
「それでよかったんだよ」って、
彼女のドラムに救われたような気がした。
ありがとう、って思った。
本当に、心の底から。
俺はもうギターは弾いていないけど、
今こうして言葉を鳴らしている。
もしこの日記を読んで、
あなたの中に何かがふっと甦ったなら、
それもまた、誰かの音に触れて生まれた“共鳴”なのかもしれません。
MUSASHI
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