最近、自分の“親指”の感覚が、ただの筋力でもスキルでもなくて、
もっと深く、人の内側に触れる“確信”みたいなものになってきた気がしている。
リラクゼーションの現場で働いていた頃、
「指先の圧は呼吸でコントロールする」ってよく言われてた。
皮膚の沈み具合や、筋肉の反発を見ながら「これくらいがちょうどいい」って調整していた。
でもその頃の自分は、どこかそれを“正解”として外から与えられていた気がする。
でも女風の世界に入って、数年が経った今──
気づけば、誰かの身体に触れるとき、親指が勝手に“知ってる”感覚がある。
どこを、どんなふうに触れれば、その人がふっと呼吸を緩められるのか。
言葉にはならないその“奥の声”みたいなものが、肌越しに聞こえてくる時がある。
ある時、施術中にふと鼻をかすめた“身体の奥から立ち上がるようなにおい”に気づいた。
香水でも石けんでもない、それは“内側に溜まってたものが解放されたような香り”。
嫌な意味ではなく、まるで「今、出てきたんだな」と思えるような、そんな空気だった。
そういう瞬間が、最近は確実に増えている。
感覚は点だった。
でも今は、それが線になっている。
香り、皮膚の温度、筋肉の沈み方、体温の抜ける方向…
それらが一本に繋がって、「この人が今、本当に欲しいもの」に近づいていける。
たとえば、ある女性がいた。
最初は張りつめた空気をまとうような、どこか“入ってこないで”というオーラがあった。
でも首の後ろに手を添え、静かに指を滑らせると、
ほんの少しずつ肩の力が抜けていって、最後には背中から深い吐息が漏れた。
「今、出てきたね」って思った。
こういうのって、相手が“気づいてほしい”と思ってる部分じゃない。
むしろ、本人すら気づいてなかったりする。
でも触れていると、それが“反応”という形で現れる。
香りや筋肉の震えや、ふっと緩む瞬間に。
そういう“声なきSOS”を受け取れるようになってきた自分がいて、
しかもそれを「どう扱えばその人が軽くなれるか」までを考えられるようになったのが、
たぶん今の自分の施術の核心。
性感って、決して“気持ちいい”だけのものじゃないと思ってる。
むしろ“気づき”に近い。
自分って、こんなふうに触れられたかったんだ──
そんな無意識の叫びが、ふいに溢れて涙になる瞬間がある。
親指で押すというより、
その人の深いところにふっと“溶けて”いくような触れ方。
それが今、自分の手に少しずつ宿ってきてる気がする。
言葉じゃなく、香りでもなく、
「そこにちゃんと触れられてる」と伝えるための感覚。
それが今、自分の中で確信に変わってきてる。
MUSASHI
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