秋になると、僕がこの仕事を始めた頃のことをよく思い出す。
最初は右も左もわからず、手探りで、ただ“気持ちよくしてあげたい”という思いだけでやってきた。それでも、ありがたいことに信頼して足を運んでくださる方が少しずつ増えて、気づけばこの秋で丸7年。
「7年目の壁」なんて言葉があるように、長く続けるほどに向き合うべきことは増えていく。お客様の数だけ違う体と心があって、癒しや快感の定義もまるで違う。そのひとつひとつを丁寧に掘り下げていく作業の中で、自分自身も変化してきた。
例えば、最初の頃は「性感」がセラピストの腕の見せ所だとばかり思っていた。セックスレスの苦しみを抱えた女性に求められ、快感を届けることで救われたような言葉をかけられると、「これが正解なんだ」と信じて疑わなかった。
でも最近、少し違う景色が見えるようになってきた。
性感という行為は、あくまで水のようなものだと思う。喉が渇いている時には、それがどれほどありがたく、美味しく、沁みわたるかも知っている。でも、渇きを癒した後に人は何を思うのか。次に何を求めるのか。そこに僕はずっと向き合えていなかった気がする。
水を飲んで、一時的には潤っても、その“乾き”の根っこには、もっと別の感情があることが多い。それは「話を聞いてほしい」という気持ちだったり、「誰かに受け止めてほしい」という願いだったり。だから最近では、性感以上に「言葉」や「沈黙の中の安心感」に耳を澄ますようになった。
それは、かつて自分が「女風ユーザー」という言葉にモヤモヤしていた頃の自分とは、まるで別人のような感覚だ。
当時は、SNSでわちゃわちゃしてるユーザーの投稿を見るだけで苛立っていたし、誠実に向き合おうとしない軽さや軽率さに目を奪われていた。でも今なら少しだけ分かる。その軽さの裏にある寂しさや、誰にも言えない想いがあるんじゃないかと。
そうやって考えると、たとえ触れ合う時間が短くても、「あの人は私のこと、ちゃんと見てくれたな」って、思ってもらえることのほうが、長く体を預けてもらうよりもずっと深く残るのかもしれない。
僕がこの仕事を続ける理由も、どこかその感覚に近い。
稼ぐためだけだったら、とっくに辞めていたと思う。お金を追いかけても上手くいかないことは何度も経験してきたし、それよりも「この人の中に残る何かを届けられた」という感覚の方が、よほど大きなモチベーションになる。そこに、自分自身の成長ややりがいがあるから、続けられているんだと思う。
これから8年目に入る。
体は確実に衰えていくだろう。若さや勢いではもう勝負できない。だけど、だからこそできることがあると思う。女性が「満たされた後に求めるもの」に、もっと敏感になって、それに応えられるセラピストでありたい。
言葉にするのは難しいけれど、触れ合いを終えた後に残る“余韻”のようなもの。その余韻が、「また会いたい」に繋がっていくんだとしたら、それはもう、技術だけじゃなく、その人の生き様や在り方そのものなんじゃないかと。
性感のその先に、僕は向かいたい。
その“乾き”の正体を、これからも丁寧に探し続けていく。
それが、7年という時間を越えて、僕にしかできない役割だと思うから。
MUSASHI
MUSASHIの詰め合わせリットリンク
https://lit.link/gentlemantokyomusashi
ジェントルマン東京本店公式ホームページ
https://gentlemans-club.tokyo/
ご予約お問い合わせ
https://member.jyofu-yoyaku.com/login/
MUSASHIの写メ日記
-
【7年目の扉、その先へ】MUSASHI