たとえば、
前戯をゆっくり丁寧にされている時のあの感覚——
急がず、ちゃんと触れてもらえて
どこか「心ごと」受け止めてもらってるような気がする。
あるいは、
話を最後まで遮られずに聞いてもらえた時のあの安心感。
「否定されずに、そのままでいられた」っていう、
あのほっとした感じ。
どちらも、まったく違うシーンのように見えて
実は、同じ神経のルートを通ってるんです。
—
それは、「感情が受け止められた」という安心体験。
誰かに丁寧に触れてもらえた時、
急かされず、否定されずに話を聴いてもらえた時、
私たちの身体では、副交感神経が優位になって
ストレスがすーっと和らいでいきます。
それと同時に、オキシトシンやセロトニンといった
“安心系ホルモン”が分泌されて、
心と身体の緊張がふわっとゆるむんです。
—
だからこそ、
「ちゃんと触れてもらえた」とか
「ちゃんと聴いてもらえた」っていうのは、
“癒し”のスイッチみたいなもの。
どちらも——
「私はここにいていい」
「大切にされてる」
っていう、無意識の安心をつくり出してくれる。
—
僕自身、お会いする女性たちの中で
言葉にならない不安や、こわばりに
触れさせてもらう瞬間がたくさんあります。
そんなとき、
ただ会話の中で感情を整理するお手伝いをすること。
あるいは、ただ優しく、触れること。
そのどちらもが、
その人の中の“緊張”をゆるめるきっかけになったらいいなと
いつも思いながら過ごしています。
—
癒しって、言葉だけでも
触れることだけでも、きっと足りなくて。
その両方が、
静かに寄り添いながら混ざり合うことで
やっと「本当に癒される体験」になるのかもしれません。
MUSASHI
MUSASHIの写メ日記
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【前戯を丁寧にされた時と話を最後まで聴いてもらえた時】MUSASHI