【バスケット】- 月野結弦(CAT_IMMERSIVE SALON)- 性感マッサージ

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月野結弦の写メ日記

月野結弦

月野結弦  (31)

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    月野結弦
    バスケット


    バスケが教えてくれたこと


    おはようございます。
    昨日は酔っ払ってました、今の気分は全然良くないです。

    月野結弦 from CAT











    殴り書いた日記の補足
    月野はバスケットボールをしていました。

    なぜ過去形かというとプレーも指導も辞めたからです。
    (※とは言うものの、全然上手くないです。ただのバスケ好きの、バスケオタクです。指導も結果は出なかったなあ)

    いつからか、自分より若い世代の子たちが
    メディアに出たり、世界で戦ったりして
    親みたいな気持ちになってて。

    親の気持ちみたいになってます。歳とったね。




         




    そんなことで
    バスケットボールを通じて学んだことが多すぎて、今でも感謝してます。


    ① 地道な継続をすること
     何か一つのことに長く携わり、やりとげたことを人生で考えたらバスケットしかないです。あの日あの時、走り続けたから
    体力オバケ(今のベッドでも活かされてる)の私が出来上がったのかなって。ボールコントロール一つにしても、そうです。毎日ボール抱いて寝てました、童貞の頃から。指は短いけど。

    ②駆け引きの力
     世の中は、常に戦い。相手は同じ人間。どのようにして相手の裏を取るか、予想と反する行動ができるか
    →そのためのサンプルデータを取るための反復練習、研究。そして行動するための練習。
    何度も何度も壁にあたることが、一番の喜び。月野は自分より上手い9人と常にバスケしたい人でした。
    高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんね

    ③忍耐力
     31歳の月野が学生の頃、まだ今とは時代が違うからコーチはブチギレで手を上げる、パイプ椅子投げる、チ◯チソ蹴られる、日常茶飯事でした。
    理不尽に怒られてることを、学生の時は
    「クソが、、、」
    って思ってましたが、本音で今は感謝してます。ちゃんと社会人になってから当時のコーチにお礼言いに行きました。
    社会の荒波に飲まれた今、理不尽な人がいたり、モヤモヤしても、
    あの時のことを思い出せば余裕です。
    月野はプライド皆無。謝るよ。一歩引く。
    子供が怒られてモヤモヤしてる親御様、ごく稀に思いやりのある叱責をしてくれる指導者もいますよ。


    ④チームワーク
     これがもっと大切なこと。そして対人関係。
    月野のポジションはPG。宮城リョータと富樫勇樹と河村勇輝と同じ。
    いかにゲームをコントロールして、仲間を動かして活躍させるか、ですね。
    相手のことを理解しないと、自分の考えも伝わらない。
    まず何するの?って。

    自己開示です。自分がどんな考えてどんなことしたいか、関係ある無し問わずに全部伝えると
    相手も少しずつ心を開いて、コミュニケーションが取れるようになって
    自ずと通じ合える素晴らしい関係になったなって思います。
    今の私は、こんなことをしたら相手が喜んでくれるかな、助かるかな、とか
    そんなことをスッと考えます、それが月野の喜びですからね(ギバーなんで

    これは履歴書にも書く部類の話です、ガチで。

    補足として練習の時もそう、みんなにキツい内容を強いるなら
    まず自分が見せる、魅せる。
    自分のウエイトを重く。きつく。

    月野はバスケットボールが大好きなのに
    プレーのセンスや才能が無かったんですよね。
    みんなと同じ量の練習や研究じゃ、追いつけなかったから、人より熱心に取り組むしかなくて。

    頑張ったことって忘れないんです。

    でも、センスだけじゃないよね
    努力することを頑張れるか、継続できるか判断するのは自分なので。その強い意志が才能なのかと









    セラピストになることを選んだのは自分
    本業も頑張ることを決めたのも自分
    日記を書くことも営業することを選ぶのも自分
    やらされちゃダメだし、やめちゃダメ














    結論:バスケをしようが、坊主だとモテない
      信じていいのは、息子だけ




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